「川越」が活性化のため投入した起爆剤の正体 「持続可能な街づくり」へのこだわりがある

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中央通りは1933年に開通した直後、1936年に都市計画道路に指定された。その後、80年以上にわたり、事業着手されないままになっている。

このことは、ひとたび都市計画が事業着手されれば、道路の拡幅のため、セットバックが行われる可能性があることを意味する。「都市計画に着手されれば、立ち退かなければならない商店主たちは、店舗への投資意欲を削がれてきた。また、後継者を育てる意欲も失われていたのではないか」と岩澤さんは言う。

20メートル道路に拡幅工事が行われている中央通りの連雀町以南エリア(筆者撮影)

実際に、中央通りの本川越駅前から連雀町以南エリアでは、現在、幅員11メートルから20メートルへの道路拡幅工事が行われており、セットバックにより、道路西側の古い町並みが消失するなど、景観は一変した。

さて、昭和の街の会の活動は2つの柱から成る。1つは、上記の道路問題を受け、現行の道路幅員のまま町並みを残して街づくりが進められるよう、道路管理者である埼玉県に対して都市計画の変更(道路拡幅の取りやめ)を川越市の支援を受けながら働きかける活動だ。この道路問題を周知する活動を継続してきたかいもあり、2017年9月には、川越市長、地元の国会議員、県会議員そろっての県への計画変更の要請が行われた。

ちなみに一番街商店街では、1999年の伝統的建造物群保存地区の指定と同時に、都市計画が変更されたという経緯がある。

会員から集める年会費だけでは、できることに限界

会の活動のもう1本の柱が、街のブランディングだ。昭和の街を実際に訪れてみると、昭和の街であることを示す看板や、昭和らしい字体の看板を掲げた店舗などがあるわけではない。一見して昭和を感じるような、“わかりやすい”観光エリアではないという印象だ。

この点について岩澤さんは、「看板を設置することは、会を立ち上げた当初から話に出ていたが、使える補助金も限られ、会員からいただく1000円の年会費だけでは、できることに限界がある」と話す。景観の保存という意味では、むしろ、看板など設置しないほうがいいという意見もあろうが、やはり観光としては物足りない。

そこで、昭和の街の会では、川越市内ではどこよりもイベントが多いといわれるほど、数多くのイベントを仕掛けている。中でも面白いと感じたのが、昨年、昭和の日(4月29日)に行われた 「コッペパンデー」だ。

「街中で昭和のコスプレをしてお客さんをお出迎えし、無料配布した昔懐かしいコッペパンに、街で購入したものを挟んで食べていただいた」(岩澤さん)というように、楽しみながら昭和を感じられるイベントの考案に知恵を絞っている。もちろん、イベントで物販を行えば、ある程度の収入も見込める。

さらに岩澤さんは「イベントを通じて観光客や市民の皆さんに昭和の街を認知してもらうことは大事だが、より重要と考えるのは、この街に住む人たちに自分たちの住んでいる街が価値のある面白いものだと気づいてもらうこと」だといい、人々の意識を変え、未来へとつなげていく活動こそが重要であるとする。

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