箱根・富士屋ホテルが再ブレイクしたワケ ”クラシックホテル萌え”だけじゃない

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道路も塔ノ沢から宮ノ下まで、創業者の山口仙之助が山を切り開いて、今の国道1号を作ってしまった。

――街ごと作るのだから、ものすごいですよね。たしかホテルから富士山は見えないと聞いたのですが。

見えないです。この山のところに小道があるのですが、ここから15分くらい歩いたところに富士山が見える「フジビュースタンド」という場所を作りました。

初めから訪日外国人を意識していた

――しかも、創業当初から外国人を意識していたのが斬新ですね。

仙之助が1871(明治4)年に若干20歳で民間人ではただひとり、アメリカに数年行ってきました。アメリカの文化に触れ、ホテルも当然、見たでしょう。同じ船には、津田塾を起こされた津田梅子さんや福沢諭吉先生がいらっしゃった。

仙之助は帰国後、牧畜業をしたが失敗して、福沢先生との関係で慶応義塾にてまた学びました。そこで実業家としての才能を見いだしていただいて、これから日本は外貨を獲得して国が繁栄すると考えてホテル業を始めたのです。

――当初はご苦労もあったようですね。

そうですね。創業当時の建物は宮ノ下の大火でまったく残っていません。今、いちばん古いのは1884(明治17)年の建物ですが、その後も地震あり、また火災あり、第2次世界大戦があり。戦後9年間は連合国軍に接収されていましたので、米軍の第7軍の将校クラスの定宿でした。

接収後は、その頃、奈良屋旅館という富士屋ホテルと双璧の施設がありましたが、富士屋は外国人しか泊めない、奈良屋は日本人しか泊めない、と協定を結んだ時代もありました。

今年の7月15日がちょうど創業135年ですが、紆余曲折、いろいろな時代を乗り越えて今日に至ったと思いますね。

本館のスーペリア・ツインルーム45号室は、かつて喜劇王と呼ばれたチャールズ・チャップリンが1932(昭和7)年に宿泊したことで有名。そこで、この部屋をチャップリン仕様に改装。ルームプレートやキーホルダーにもチャップリンのシルエットがあしらわれ、愛用の帽子とステッキも飾られている。
チャップリンにちなんだ本館スーペリア・ツインルーム45号室
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