――売れるものを作りたいと思うプロデューサーと、自分の作りたいものを作りたいと思う監督たちとのせめぎ合いが生じませんか?
それはすごくあります。クリエーターにとっては、自分がやりたい表現、自分が信じた作品にしたいという気持ちがあるのが当然だし、それがなければ、クリエーターはできない。とはいえ、そこで僕らが意見を言わずに作ってしまったものが、結果、お客さんに響かなかったこともあったわけです。もっとプロデューサーが勉強し、お客さんが求めているものを理解して、それを現場に落とし込んでいこうとすることが、アニプレックスのプロデューサーに必要とされている部分だと思います。
うちの企画会議は非常に厳しくて。単にこの作品が面白いからやろうというだけでは成立しない。あらゆる部署、あらゆる部門のリーダーたちが、この作品がいわゆるビジネス的に成熟するのかを突き詰めて会議を行っていったうえで、やっと企画が通るという仕組みがある。だからプロデューサーがやらなきゃいけないことは、その結果にたどり着くために、いかにお客さんに受け入れてもらえるものを現場と一緒に作っていけるか。だから逆に、そこを監督とディスカッションしないならば、ある意味そのコンテンツを放棄することに等しい。そういう気持ちで現場にはぶつかっていくので、時にはもめることだってあります。
秩父が舞台だとはアナウンスしていなかった
――アニメ化されたときに秩父の町並みを見事に表現されたことが、感動を呼ぶひとつの要因だったのではないでしょうか。秩父を舞台としたのは?
最初は決まっていませんでした。いわゆる少年少女たちにとって、閉塞感があるその思春期の気持ちを代弁してくれるような土地はどこが向いているのだろうかと議論をしていたときです。都会ではなく、地方、田舎町でもない。もうちょっと都会との距離が近いようで遠いような。すごく閉鎖的な地方都市が合っているんじゃないかという話になり、そこでうまく行き着いたのが秩父だった。
秩父は西武線沿線上の終点じゃないですか。そういうこともすごく面白いなと思ったので、みんなで一回、電車で旅をしようということになった。6~7人でレンタカー借りてあちこち周りました。秩父神社や旧秩父町など、とにかくいろんな場所に行って、資料を押さえるためにとにかく写真を撮りました。そしてその膨大な写真資料の中から、使えそうなものを岡田さんが脚本に落とし込んでいったという形でした。
――あれを観た人は秩父に行きたくなると思います。
そうですね。ただ、特徴的なのは武甲山ぐらいで、観光地として突出したものがあるわけではないんですよね。僕は東北出身なのですが、東北にもありそうな「ザ・地方都市」という感じがしたのです。だから、秩父の街並みが突出しているというよりも、どこか自分たちの町に似ているような、その地方の人たちの郷愁というか、共感を得られるような舞台だったのでしょうね。
――多くの『あの花』ファンが秩父に「聖地巡礼」に訪れています。それは予想していましたか?
実は予想していました(笑)。やはりアニメのファンの方々は作品をすごく愛してくれますし、いわゆるDVDや放送だけではない、それ以上の接点を求めているなと思っていましたから。その作品を誰かと共有したいとか、実際にもっとその作品に触れてみたいといったような思いは、絶対にあると思ったのです。
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