自分が監督をやらなかったら絶対に後悔する
――もともとは監督ではなく、脚本のみでの参加予定と伺っていますが。
脚本を書いているうちに、最後までかかわりたいと思うようになったのです。それには監督をやるしかないだろうと。だから(実写の監督を務めることに対して)ウキウキ、ワクワクしていたわけじゃない。ものすごく不安だったし、自信もなかった。でも自分が監督をやらなかったら、絶対に後悔するだろうなと思った。
実は、松竹の人から聞くまでは、木下恵介生誕100周年ということをまったく意識していなかった。でも、そんな時期に自分が立ち会えることは二度とないわけで。だからこれは、どういう結果になろうが、自分でやるしかないなという気持ちが強くなったのです。
――『クレヨンしんちゃん』シリーズもそうですが、これまで原監督の作品は家族の話が中心のものが多かったように思います。松竹映画といえば、伝統的に家族の映画を描き続けてきたという歴史があります。実写監督デビュー作を松竹で撮ることになったのは必然だったのかもしれませんね。
確かにそうかもしれませんね。
――以前、原監督の『映画クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ アッパレ!戦国大合戦』を実写化した、映画『BALLAD 名もなき恋のうた』(2009年 山崎貴監督)がありました。そのときに自分も実写の監督をしたいと思うようになったことはありませんでしたか?
そういうことは思わなかったですね。ただ『BALLAD 名もなき恋のうた』はアニメの絵を尊重した撮り方をしていたので、そこはうれしかったですけどね。
――当時、自分が実写の監督をするなんて考えていなかった。
そうですね。時々、「実写はやらないのですか?」と言う人はいましたけど、具体的な提案もなかったし。自分自身も実写を撮りたいと強く思っていたわけではないですからね。
――木下監督の実話を基にした映画ということで、リサーチはどのようにされたのでしょうか?
リサーチにあたり、松竹さんから木下監督が書かれたものなどをもらいました。木下監督の弟さん(作曲家の木下忠司)や妹さんの作代さんにお話を聞いたりもしました。実際にリヤカーで通ったであろう道にも行きました。そこに行って、だいぶイメージが変わった。この短い文章(本作の原案となった新聞コラム)だけではわからなかったところも見えてきましたしね。なかなか木下監督らしいなと思ったんですよ。僕らだと、こんな山道をリヤカーで行こうと思っても、きっと途中で引き返すだろうなと。それは僕だけじゃなく、一緒にその道を見た人がみんな思っていましたからね。でも、行っちゃったんだなあ。木下監督っぽいなあと思いましたね。
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