木下作品への思い入れとは
――本作の最後には、過去の木下作品の名場面集的な映像が10分間にわたり、次々に出てきます。原監督流の『ニュー・シネマ・パラダイス』といった趣で、木下作品への愛情を感じました。あのシーンへのこだわりは大きかったのでしょうか?
もちろんそうです。あそこのシーンの編集は絶対に自分でやらなければと思っていました。でも大変でした。自宅でどのシーンを抜き出すかを選びながら、一方では撮影に向けた準備も進めなければならなかったので。結局、撮影前にそのシーンの編集作業は終わらなかった。撮影が終わってからその編集の続きを行いました。
映像をあの長さにするにも、いろいろありました。新作映画として考えると、旧作の分量が長いのはどうなんだ、という声もありましたしね。でも、木下監督らしい過激な試みをしたかったので、やはりあれぐらいの長さで見せなければとは思っていました。だからあれは最低限のラインです。
本当はもっと長くしたかった。もちろん具体的な目標がなかった作業ですけど。なんとなく編集の人と相談しながら、まず僕が「ここ(のシーンを)抜いてください」というところを選んで、少しずつ少しずつ切っていくんです。自分でもわかっていましたけど、好きな作品を切るという作業はたいへんつらいんですよ。
最初は1本当たり5分ぐらいにしようと作業をしていました。ただ、1本当たり5分といっても、10本あったら50分になってしまう。結局、編集をしたのに、作品として泣く泣く外したものもあります。
――それだけの作品を引用できる企画というのも、やはり木下監督が所属した松竹ならではですね。
僕は今、ものすごいことに携わっているな、という気持ちになりました。僕はずっと、木下監督にもっと光をあてたい、作品を再評価してもらいたいという地道な活動を、個人的に長年にわたってしてきました。それを仕事として、作品として、そういうふうに思ってくれる人を増やしてくれ、と言われたようなものですから(笑)。それは断るわけにいかないですよね。
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