なぜ私は、東大法学部をやめて留学したのか 私がリベラルアーツカレッジを選んだ理由

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リベラルアーツ教育に強く魅力を感じる一方、ネームバリューばかり意識していたため、ハーバードなどのアイビーリーグ以外の大学に通っても、将来的な意味がないのではないか、とも考えていました。そもそも、アメリカの大学に行っても日本では評価されないのではないかと思っていました。

そこで姉に相談したところ、「東大文一、法学部、弁護士? 安定してそうだし、いいと思うよ」と返答をもらいました。

自分のやりたいことを意識して人生を歩んでいる姉に、自分が何となく思い描いていた人生をさらりと言われたときに、自分が肩書だけで人生を考えていることに気がつき、恥ずかしくなりました。

しかし結局、アメリカの大学にだけ受験する勇気もなく、どちらも選べないならどちらもやってみようと思い、高校3年生の5月ごろから、アメリカの大学の受験対策を日本の大学受験と並行して進めました。今まで無難な高校生活を送り、自分の殻から出ていなかった分、失敗経験もなく、楽観思考で挑戦できたのかもしれません。

日本の大学入試とアメリカの大学入試の違い

しかし、現実は厳しかったです。日本の大学とアメリカの大学では、まったく入試の選考方法が違います。特に大変だったのは、アメリカの大学入試に関する情報が日本にあまりないことでした。

日本の大学は、試験一発で合否が決まりますが、アメリカでは、SAT(大学進学適性試験)、TOEFLという試験に加え、高校の成績、高校の先生からの推薦状、課外活動、エッセイが課されます。英語を外国語科目としてしか習ったことがない私にとって、全て英語でやらなくてはならなかったのにはとても苦労しました。

実際、SATのVerbal(語彙力などを試すテスト)の試験はあまりにもわからなかったので、古典的ですが、鉛筆の側面に1~4の数字を書いて、試験中に回しました。また、2行程度の英作文の問題しか解いてこなかった私にとって、2ページの出願エッセイをいくつも書かなくてはならなかったのは、かなり苦痛でした。要求されている最低500語に達したときには、おもわず文字数を写真に撮ったほどです。

すべての書類をそろえてアメリカの大学に出願したのは、締切寸前の12月末日。日米大学併願を決意してから7ヵ月後のことでした。その後、年明けからセンター試験の勉強を詰め込み、案の定失敗したので、文系で最も足切り点の低い文科一類に、背水の陣で受験することにしました。日本の大学受験は大変でしたが、とにかく合格最低ラインを目指すことを意識しました。

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