木本:日本が南の歯舞色丹を返せと言っているのはなぜでしょう。
美根:これは私見なのですが、「千島列島の20の島のうちの半分を返せ」と言ったほうがいいと思っています。なぜならば、ロシアには歴史的に権利がないから。条約の話になりますが、日本とロシアの間で境界線を定めたのは1855年に交わした日露和親条約です。国後、択捉までが日本で、そこから北の18島はロシアだとした。この状態へ戻るというのが日本の要求なんです。
木本:幕末のころまでさかのぼるんですね。
美根:しかし、千島の18島は実はサハリンと交換したんです。間宮林蔵はサハリンが島であると発見した。そのころからサハリンにおいて日本人による一定の経済活動がありました。ロシア人と日本人が混住していましたが両国は南が日本、北がロシアにしました。そして、1875年の千島樺太交換条約で、南の樺太と千島の18島を交換し、千島列島全部が日本の領土になりました。最初は南の2島だったのが、交換して20島になったのです。
木本:一回、列島全部が日本のものになった。
混乱の元はサンフランシスコ条約
美根:つまり、戦争とは無関係に、千島列島全部が日本の領土だったわけです。第2次世界大戦の処理のために結ばれたのが、サンフランシスコ平和条約で日本の戦後の領土が再確定されました。ですが、当時のソ連は交渉に参加したものの署名はしなかったのでややこしくなりました。サンフランシスコ平和条約で、日本は千島列島と樺太を放棄することになりましたが、ソ連に放棄すると言ったわけではない。
木本:それは誰かに強制されたのですか? 日本側の意志ですか?
美根:講和の条件であり、連合国の意思でした。日本が持っていた海外領土のすべてを取り上げるということで、そこに千島列島も含まれていたわけです。
木本:「はい、わかりました」と言ったんですね。
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