「最後まで…希望を捨てちゃいかん あきらめたらそこで試合終了だよ」。
この名言にグッときた読者は多いだろう。漫画『SLAM DUNK』で安西先生がゲーム中の三井寿に贈った言葉だ。あきらめたら、そこで終わり。そのことを理解しながらも、われわれは自分ができなかったことを正当化してしまうことがある……。
できない理由を挙げて、勝負の舞台から降りるのは簡単だ。はたして、最後の最後、ギリギリまであきらめずに向き合ったのか。正月の箱根駅伝を取材して、安西先生の金言を思い出した。「山の神」と呼ばれた青山学院大学・神野大地の激走が、筆者には“奇跡の復活”に映ったからだ。
独走で連覇を果たした青山学院大学は、前評判どおりの強さを発揮した。しかし、本番の“澄み切った青空”と違い、大会直前の青山学院大学は“怪しい雲”に包まれていた。その最大の理由は前回大会のMVPランナーが故障に苦しんでいたからだ。11月中旬、「今回の箱根は無理かもしれない」と神野大地は親に弱音を吐いたものの、あきらめることはしなかった。
“陸上の神”からのお告げ
前回の箱根駅伝、神野は5区で過去最速タイムとなる1時間16分15秒を刻み、“時の人”となった。メディアをにぎわせ、都道府県駅伝のアンカーを区間3位と好走。2月の丸亀ハーフマラソンで、日本人学生歴代3位の1時間1分21秒をマークするなど、明るい未来へ漕ぎ出したように見えた。
だが、「山の神」という十字架が徐々に重荷となっていく。2月に左脚大腿骨を疲労骨折。6月にも右脛の疲労骨折が判明した。2度の疲労骨折を経て走り始めたのは、8月6日からだった。
その後は順調にトレーニングを消化するも、アンカーに起用された11月の全日本大学駅伝で自信を完全に喪失した。8区19.7kmを59分45秒の区間8位。1年前と比べてジャスト1分も悪かった。アンカー神野で大逆転というシナリオにはならず、チームの「駅伝3冠」という野望は打ち砕かれた。
「今季は苦しい1年でしたけど、全日本まではある程度、自信があったんです。ケガをしても、その間にいろいろなトレーニングをやってきたので、大丈夫だろう、と。でも、全日本でその自信が一気に崩壊しました。『おまえは天才肌じゃないんだから、もっと練習しろ』と陸上の神様に言われたような気がして。そのとき、自分は誰よりも泥臭く練習をして、やっとエース級の選手たちと戦えたんだということを思い出したんです」
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