「前回は46秒差の2位でタスキをもらって、自分が抜いて、自分が引き離すという駅伝のいちばん面白い部分を感じることができたんですけど、今回は7㎞ぐらいからずっと苦しくて。でも、ゴールには久保田(和真)や小椋(裕介)たちが待っている。彼らの笑顔だけを思い描きながら、あきらめずに最後まで走りました」
たった「80分の我慢」に思えた
苦しそうな顔でレースを進めた神野は、17km付近で腹痛に襲われ、山頂付近では強風にカラダを揺さぶられた。ようやく表情が緩んだのは、20㎞の給水地点だ。チームメイトからドリンクを受け取ったときに、初めて笑顔を見せた。
笑顔が戻った神野の走りは軽快だった。1時間19分53秒と好走した東洋大学・五郎谷俊、全日本8区で1分06秒も負けた駒澤大学・大塚祥平を寄せつけず、2年連続となる歓喜のゴールに飛び込んだ。タイムは1時間19分17秒。山頂付近の強烈な向かい風を考えると、1時間18分台に相当する走りで、神野の快走がチームの連覇を決定づけた。ピンチを乗り越えて、神野は今年も「山の神」として降臨したのだ。
「(前回の)箱根でよかったぶん、周囲の期待に応えようという気持ちが強くて、焦りが出て、その焦りが次のケガを生んでしまうという負の連鎖でしたね。いま振り返ると、本当に苦しかった1年です。5区は80分ぐらいで終わる。1年間の苦しみに比べれば、たかが80分ぐらいの我慢はなんともありませんでした」
「80分の我慢」というけれど、苦しみを感じるペースで走り続けるのは至難の業だ。そう思えるだけの努力を積み重ねてきた神野だからこそ、天下の険を駆け上がる難コースでも、自分自身に打ち勝つことができたんだと思う。神野は自分の武器を「我慢強さ」だと分析しており、日々の生活から“小さな我慢”を続けてきた。
「とにかくあきらめずにやってきました。ほかの人よりケアしているのに、どうして自分ばかりケガをするのか。そう思った時期もありました。でも、それをやめたらほかの個所をケガしてしまうかもしれない。そう思うようにして、自分はやらなきゃいけないんだという気持ちで取り組んできたんです。振り返ってみると、12月しか走っていないのに、ここまでやれたのは、『走る』以外のトレーニングが大きかったと思います」
無料会員登録はこちら
ログインはこちら