芥川小説『蜘蛛の糸』にみる運命の皮肉
私が好きな日本の小説に、芥川龍之介の『蜘蛛の糸』がある。生前悪事の限りを尽くしたカンダタという人間の話だ。彼は生きている間一つだけ「善良な行い」をしたことがあったが、今は地獄で苦しんでいる。釈迦はその行いへの慈悲から、一本の細い蜘蛛の糸を垂らし、カンダタを助けようとする。しかしカンダタが糸をのぼっていくと、後から救われたい罪人がどんどん追いかけてくる。蜘蛛の糸は弱い。カンダタはとっさに自分が助かることだけ考えた。「糸は俺様のものだ!」と叫んだ途端、糸は切れ、カンダタは再び地獄へと落ちてしまった、というのがあらすじだ。
人生は選択の連続である。しかもその選択は、その都度「瞬時」に行う必要がある。蜘蛛の糸でカンタダが下した選択も、生前の善良な行いも、悪事も、瞬時に下されたものの結果である。その一瞬の選択が最善なものでなければ、往々にして人生は望まぬ方向に突き進んでしまうのである。カンタダが再び、地獄へ戻ることになったように。
最善の選択をできない者は、時として大きな代償を払うことになる。たかが選択、されど選択。何かを選択するまでの、「たった3秒間」に、これからのあなたの人生はかかっている。
しかし、最善な選択とは、時に痛みを伴うものである。そんな中でもおそらくいちばん痛いのは、弱く、みっともない「自分」に向き合わねばならないことだ。カンタダが「糸は自分だけのものだ」と叫んでしまったように、弱い自分から逃げることは簡単だ。しかし、現状を直視できず、周囲をないがしろにして、自分の都合だけを優先する選択をしようとすれば、自分の中の弱さ、醜さに一生後悔することにもなりかねない。
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