バンコク銀行を支える日本人バンカーの正体 日系企業取引で断トツ、大洪水にもめげず

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小澤仁(おざわ ひとし)/1953年12月東京生まれ。77年に東海銀行入行。入行試験でいったん不合格と通知されるが「何で私を採用しない」と抗議。「そこまで言うなら」と採用された。国際畑を歩き米国在住10年。中南米の不良債権問題やブラックマンデーに遭遇する。2003年より現職。東海銀行時代を含めバンコク在住は17年に及ぶ

――小澤さんは東海銀行のご出身ですね。

ほぼ一貫して国際畑でした。米国に2回10年、バンコク支店長として4年。サラリーマン人生としては、全然恵まれていなかった。行く先々で再建をやらされました。

1980年代は中南米の不良債権の処理や米国事業のリストラをやり、日本に戻ったら、バブルが破裂して本体がおかしくなっていた。

不承不承で国際部門のリストラに着手しました。不良債権を作った張本人は国際部門ではなく、国内部門ですからね。でも、仕方がない。

その一環として、バンコク支店の業務を縮小し、バンコク銀行と資本提携した。東海銀行は資産を絞り、人だけ出す。結果的にそれがよかった。1997年のアジア通貨危機の際、他行は猛烈な貸し剥がしをやったが、東海銀行は早めのリストラのおかげで自己資本に余裕があった。バンコク銀行からバーツを400億円調達し、それを貸し剥がしにあった日系企業に融資したのです。

通貨危機の時はトヨタも資金繰りに苦しんだ

あのときは、バーツ急落でトヨタや本田のティア1(1次サプライヤー)が軒並み、債務超過に陥った。いずれ立ち直るとは思っていても、銀行は債務超過の会社からはカネを引き上げる。融資する決断ができたのは東海銀行だけでした。

ティア1のみならず、トヨタ本体にも貸した。トヨタ本体も資金繰りに苦しんでいたんです。トヨタは東海と三井銀行の並行メインでしたが、このとき、瞬間的に東海が三井を抜いてトップになった。

こうした動きをバンコク銀行はじっと見ていたのだと思う。

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