下町ロケット、「リアル神谷弁護士」の知財人生 鮫島弁護士が説く「知財経営」の重要性
――東京工業大学金属工学科のご出身だそうですね。佃製作所の工場を連想してしまいますが、なぜ金属工学科を選択されたのでしょうか。
東工大は入学後2年生になるときに学部を選択するのですが、成績が悪かったので当時一番人気がなかった金属工学科しか行けなかった、ということです。
――意外ですね。
得意科目が理系科目だったことと、学費が安い国公立で受かったところが東工大だったというだけでしたし、当時の私にはやりたいことも、志もなかったですから。金属工学には興味が持てず、大学4年間は何をするでもなく漫然と過ごしたからか、何をしていたのか、よく覚えていないんですよね。4年間で卒業できたのは奇跡だと思いますよ。
社会人1年目でエンジニアには向かないことを自覚
――学卒後最初の就職先は電線大手の藤倉電線(現フジクラ)ですね。ここも入れるところに入ったということでしょうか。
そうです。就職担当の教授のツテで入れてもらったのですが、就職してみて自分がエンジニアには向かないということを、よりいっそう自覚しましたね。
――どんな仕事だったのでしょうか。
工場の開発製造ラインの管理です。顧客である電力会社から、こういう仕様のこういう電線を作ってくれ、というオーダーを受け、試作品を作って量産の一歩手前くらいまでの開発をする。半分開発で半分製造ですね。もの作りをするだけではなく、材料の仕入れ、出荷検査、トラブル対応から現場のスタッフのシフト管理など、工場運営に関する基本的なマネジメントもやりました。
――それがつまらなかったと。
工場運営の一から十をやったので、今となってはとても貴重な経験をさせていただいたと感謝しています。しかし、当時はそうは思わなかった。エンジニアに向く人というのは、ものを観察することや、機械いじりが好きな人なんだと思いますが、私はどちらも好きじゃない。不適合を起こしながらなんとかやっていました。
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