
感情は「時代」と「文脈」で姿を変える
「感情史」という歴史学の分野があることを本書で初めて知った。あって当然だと思う。
以前『痛みの歴史(Roselyne Rey, The History of Pain)』という本を読んだことがある。身体的な痛みというのはどの時代のどの地域でも同じだと思いがちだけれど、そうではないと書いてあった。
その人がどういう文脈において経験しているかで痛みの質は変わる。
ナポレオン戦争の時、片足切断手術を済ませたばかりの士官が乗ってきた馬にまたがってまた戦場に戻った逸話が紹介されていたが、たぶんおのれに託された歴史的使命感が彼の脳内に大量のドーパミンを放出して、傷の痛みを緩和したのだろう。
感情もそうだ。ある心的刺激に一対一的に対応する「客観的感情」は存在しない。どういう文脈において経験されるかで感情の輪郭も深さも意味もすべて変わる。
感情は「心理的構築物」であり、「さまざまな言語、文化、個人的体験が、『核となる』感情を多様な姿に形作る」(本書16頁)。だから、私たちが例えば「怒り」と呼んでいる感情があるけれど、私が感じている「怒り」と他の人が感じている「怒り」が同じかどうかは誰にもわからない。
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