「制作には2年近くも」日本に8人しかいない≪切手デザイナー≫東京藝大の受験に4回失敗、45歳で辿り着いた職で味わった“悲喜こもごも”
大学では日本画を専攻し、卒業後も画家を目指しながらフリーターをしていたある日のこと。当時でいう郵政省の「技芸官」(現在の切手デザイナー)として働いていた大学の同級生から声がかかりました。
「委嘱者(外部のデザイナー)として、年に数回、切手やはがきのデザインを制作する仕事を手伝わないか?」
これまで磨いてきたデッサンの力が、ここで初めて社会とつながりました。
一人で息子を育てていくため、“一大決心”を固め──
委嘱者として働き始めてから数年後、彼女の人生に新たな責任と覚悟が生まれます。ひとり親として子どもを育てていくことになったのです。
「フリーランスの仕事だけでは、この先子どもを養っていくことはできないかもしれない」。母としての責任感が、彼女に大きな決断をさせました。
「まずは“なんとか手に職を”と思い、息子が1歳のときに6カ月間、職業訓練校に通ってDTP(デスクトップパブリッシング)の技術を学ぶことにしました。パソコンとは無縁の人生だったので、ゼロからの挑戦。もう、とにかく必死で(笑)」
実に、母は強し。訓練校を修了するや否や、経済的に余裕がないなかでも、「せっかく習ったから」と当時はやっていたカラフルなiMacを購入したといいます。
「覚えたことを忘れないよう、基本的な操作はできるようにしておきました。今もこのときの経験が生きているので、本当に良かったと思います」
その数年後、ついに切手デザイナーの正社員での中途採用の募集が出ます。毎年あるわけではない、それも採用されるのはほんの数名という狭き門。それでも「一人で息子を育てていくためには、会社員として働きたい」とこのチャンスに挑んだ貝淵さんは、当時45歳でした。
多くの応募者が集まるなか、彼女は見事に難関を突破。“国の顔”を作るプロフェッショナルとして、新たなスタートラインに立ったのです。

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