「制作には2年近くも」日本に8人しかいない≪切手デザイナー≫東京藝大の受験に4回失敗、45歳で辿り着いた職で味わった“悲喜こもごも”

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東京藝大への4度にわたる挑戦、画家を目指して仕事先を掛け持ちした日々、そしてフリーランスのデザイナーとしての期間。一見すると、遠回りにも見える現職までの道のりについて、貝淵さんは笑顔でこう語ります。

「経験してきたこと全部、ムダなことはひとつもないって思うんです。例えばフリーター時代、幼児教室で先生をしていたときには、母親たちの前でのセミナーも担当しました。大勢の前でプレゼンする際には、その経験が生きています。それから、飲食店でのバイトでは、多くの人と出会います。いろんな人がいるんだなぁという気づきや忍耐強さは、そこで身についたかなと」

人前で話す度胸。さまざまな人々の暮らしを想像する力。そして、多少の理不尽さにも動じない忍耐力。すべてが彼女の血となり肉となり、今の仕事につながっている。貝淵さんの言葉は、過去の経験はどんなことでも人生の糧になるのだと、優しく、力強く教えてくれるようでした。

「あまり記憶がない」ほど忙しかった日々を乗り越えて

貝淵さんの切手デザイナー人生のなかで、最も心に残っている仕事。それは、誰もが一度は目にしたことのある、あの「普通切手」にまつわるものでした。

2005年に入社し、上司の指導のもとで経験を積んでいた彼女の転機は2012年。当時のデザインリーダーが退職し、その後任として課長に抜擢されます。しかし、平穏な船出ではなく、就任早々にもかかわらず、一大プロジェクトに加わることになったのです。

「2014年シリーズとして発行される新たな普通切手のデザインを担当することになったのですが、管理職の仕事にも慣れていないなか、2度の消費税改定が予定され、それに伴う普通切手の全面刷新という大プロジェクトが重なり……あの頃が一番大変でしたね」

さらに、当時の貝淵さんは、このプロジェクトの裏側で、プライベートでも大きなピンチを迎えていました。

「忙しすぎたのか、当時の記憶があまりないのですが、私生活では子どもの高校受験もあり、たびたびうろたえたように思います。とにかくタスクが多いため、1年間分の切手発行スケジュールをA4サイズ1枚にまとめて手帳に挟み、常に持ち歩いていました。優先順位を入れ替えながら、一日ずつ、やるべきことをやる、という毎日でしたね」

仕事と家庭における荒波が一気に押し寄せた、人生最大のピンチ。本人は、「乗り越えられたかどうかもわかりません。残業も多く、息子に悪くて何度も辞めようと思いましたが、当の息子から“辞めちゃダメ”と諭され、母の手も借りてなんとか続けることができました」と笑います。

結果として、普通切手はスケジュール通りに発行され、お子さんの受験も無事に終えることができました。その手帳に刻まれた無数のタスクが、彼女の見えない戦いの軌跡を物語っているかのようです。

2円切手
貝淵さんがデザインを担当し、2014年シリーズの第1弾として2014年3月に発行された「2円普通切手(エゾユキウサギ)」は長きにわたり人気を博しました(写真/日本郵便提供)
350円切手
こちらは貝淵さんが普通切手のなかで最後に担当した「350円普通切手/三陸復興国立公園(北山崎)」。エゾユキウサギとは打って変わって、荘厳な雰囲気が漂います(写真/日本郵便提供)
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