「制作には2年近くも」日本に8人しかいない≪切手デザイナー≫東京藝大の受験に4回失敗、45歳で辿り着いた職で味わった“悲喜こもごも”
こうして、構想から実に2年近くを経て、ようやく新たな切手が私たちの元へと届けられます。
「海外の印刷会社の方には、この日本のシステムはとても驚かれますね。組織の中に専門のデザイナーが社員として存在し、長い期間をかけてチームで作り上げていく、というのは、珍しいのかもしれません」
日本画家を目指し、憧れの東京藝術大学を4回受験
45歳で切手デザイナーとして日本郵便に入社したという貝淵さんですが、気になるのは、この職業に就くまでの道のり。振り返ると、そのキャリアの始まりは、高校時代に恩師から受けた何気ないひと言でした。
書道、美術、音楽。どれも同じくらい好きだったなか、選択授業で「美術」を選んだ貝淵さん。ある日、彼女の描く絵を見ていた担当教師が問いかけます。「東京藝大(東京藝術大学)は受験しないの?」と。
その言葉で“その気になった”貝淵さんは、美術の世界へ進むことを決意。しかし、その道は決して平坦ではありませんでした。
「ぶっちゃけて言うと、藝大受験にずっと失敗してたんですよね」
まだ女性が大学に進学すること自体が、今ほど当たり前ではなかった時代。サラリーマン家庭で国立大学しか許されなかった貝淵さんは、芸術大学の最高峰を目指し続け、4年にわたって挑戦を続けます。
「当時は好景気の真っただ中で、“卒業して、日本画家になれば食べていける”と思い込んでいたんです。その夢を胸に、予備校の学費などを稼ぐため、飲食店や幼児教室の先生、子ども向け教材の絵を描くなど、さまざまなアルバイトに明け暮れる日々を送りました」
4浪目での東京藝大の受験結果は、残念ながら不合格。しかし、この年から私立の受験も許された貝淵さんは、武蔵野美術大学へ進学します。そして彼女の人生は、大学時代のご縁によって、大きく動き出すのです。

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