2浪目に入った林さんは、環境を変え、この年から医学部志望者が集まるようになった駿台予備学校の市谷校に通い始めます。そこで彼は初めて、「医学部受験する人間ってこんなにいるんだ」とその厳しさを肌で感じることができたといいます。
「当時、駿台市谷校は医学部志望の学生のクラスが4~5クラスあって、2クラス目以上じゃないと、基本的には医学部には受からないと言われていました。自分はそこそこレベル高いんじゃないかと思っていたので、2クラス目からスタートするかと思ってたら、3クラス目からのスタートだったので驚きました」
“8~10時間勉強”も模試の判定はEばかり
2浪目にして合格圏内にいなかった自分の立ち位置に、林さんはびっくりしたといいます。
この年は全く成績が上がらず、強い中だるみを感じたそうです。一方で、2浪で費やした今までの時間を無視できず、旧帝大の医学部に行きたいと思い始めました。
「2浪してるから、これくらいはいけるでしょという傲慢な考え方でした。旧帝大はセンター試験の点数を圧縮する傾向があったので、センター試験を軽視して手の届かないレベルの問題集や、2次試験対策をメインでやり始めたのが戦略上のミスだったと思います。自分が多浪した根本的な理由は、自分の能力を過信しすぎたことに尽きると思います」
現役から2浪まで勉強時間は8~10時間くらいで変わらなかった林さん。この年も模試の判定はEばかりで、センター試験では前年より微増の80%台前半を記録。前期で東北大学医学部、後期で福井大学医学部を受験したものの、どちらも不合格でした。
しかし、併願校の早稲田大学の理工学部には合格していたため、親族には早稲田に進学するように強くすすめられていたといいます。それでも、林さんは医師の道を諦めきれず、3浪を決意しました。
「親族には、『もう1年やれば、絶対行けるから』という謎の自信と共に進学を拒否しました。2浪目までは一度も、『自分は医学部に受からない』と考えたことはありませんでした」
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