“傲慢”なせいで5浪 早稲田蹴ったけどやっぱり進学→諦めきれず国立大医学部を再受験した彼の後悔

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林さんは埼玉県岩槻市(現:さいたま市岩槻区)に、歯科医師の父と、主婦の母のもとに生まれ育ちました。

普通の公立小学校に通っていた林さんは、学年でも成績は上位のほう。周囲に中学受験をする人はあまりいなかったものの、4年生から四谷大塚に通い始め、中学校では有名進学校である芝中学校・高等学校に入ります。

「親は上位3分の1にいてくれればいいという感じでした。同級生は270~280人いましたが、ずっとちょうど3分の1くらいに入る100位くらいで、高校2年生で理系クラスに進んでからも上位3分の1にいました」

芝中学校時代の林さん(写真:本人提供)
芝中学校入学当時の林さん(写真:本人提供)

中学時代に漠然と医師になるだろうと思っていた林さんですが、実際に志望校として医学部を設定したのは高校3年生になってから。しかし後から考えれば「もうすでにこの目標設定から誤っていた」と振り返ります。

「父親は歯科医師でしたが、私立大学に行かせるお金はないと言っていたので、自分にチャンスがあるのは国公立の前期・後期の2回のみでした。ですが、受けた年のセンター試験は70%くらいしか取れていなくてずっとE判定だったので、勉強を始めるのが遅かったと思います」

この年、林さんは秋田大学の医学部に前期試験で出願するも不合格。併願で受けた東京理科大学と芝浦工業大学には合格したものの、辞退して浪人を決断します。

自分ならもっと上にいけるという思い込みがあった

合格した大学はあったものの、浪人を決断した理由を林さんに聞くと「医師になりたかったから」という答えが返ってきました。

「親からは医師になれとは言われませんでしたが、『させたい』という感情は子どもとしては受け取っていました。医師はいい仕事という刷り込みもありましたし、1年間も勉強すれば医学部に受かるでしょうという傲慢な気持ちがあったのです」

そう思って駿台予備学校の大宮校に通い出した林さん。1浪目は駿台予備学校の大宮校に通い、センター試験のパーセンテージは70%から80%に伸びました。しかし、「医学部には全然到達できなかった」と語ります。

「この年はもう一度秋田大学医学部を受けて不合格でした。後期はどこに出したか覚えてないけど足切りになったのは覚えています。この年に受けた模試も通じてすべてE判定でした。それでも、この判定は厳しすぎるんじゃないか、自分の実力だったらもっと上にいけるんじゃないかという思い込みがずっとありました」

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