「82歳で“マタギの頭領”を引退」「88歳までチェーンソーを自在に操り…」秋田で1人暮らしの92歳が《伝説のマタギ》と呼ばれているワケ

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昭和8年(1933年)生まれ。「9人兄弟の6番めか7番め」と指折り数えても記憶があいまいなところはご愛敬。祖父も父もマタギという一家で育ち、シカリだった父は「鉄砲撃ちの名人」として鳴らした。

小学生の頃から父に「山さ、あべ(行くぞ)」と連れられて、マタギの集団狩猟・巻き狩りの手伝いをしてきたという。

16歳からは営林署の作業員として働きはじめ、25歳のとき、地元の材木会社に転職。仕事に邁進しながら、松橋さんは迷うことなく父の跡を継いでマタギになった。

山の地形や熊の通り道、棲み処から山菜やキノコの採れる場所まで頭の中に叩き込まれている。そこに鉄砲撃ちの技術と経験を積み重ねていき、50歳のとき、比立内マタギのシカリを担う。

伝説のマタギ
20歳の頃、獲った熊を掲げる松橋さん(写真向かって熊の右側、松橋吉太郎さん提供)

撃った熊がドサリとかぶさってきた

熊との武勇伝は数知れず。60歳の秋の猟期の頃、他の地区のマタギが松橋さんを訪ねてきた。前日、比立内の山で熊を撃ち逃がしてしまった、自分は比立内の山を知らないから案内してくれないかという。

松橋さんは二つ返事で引き受ける。だいたいの場所を聞きながら山を進むと、当たりをつけたブナ林の中に小柄な熊の姿が見えた。無心に木の実を食べている。件のマタギは松橋さんの後ろにいて、なかなかやってこない。

(打ち損ねたのは子熊だったのか?)と思いながら、松橋さんは銃をかまえた刹那、左側の藪の中から母熊が飛び出してきた。

松橋さんがすぐさま銃を向けると、母熊は山が割れるほどの咆哮をあげて立ちあがる。その距離、銃先からわずか30㎝。

松橋さんは動じることなく、「このばがけ!(ばかもの)」と叫んで、熊の急所である胸の白い三日月を狙って一撃。撃たれた熊がドサリと松橋さんにかぶさった。

伝説のマタギ
山の中で、何度も死闘をくぐり抜けてきた(写真:松橋吉太郎さん提供)
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