だから、松橋さんはある程度の時間は待つ。そのうえで技量を見極めて、できない人には次の指示を告げる。
「あんたの技術はここまでだから、苦手なこととできることを自覚して自分で仕事の仕方を考えてくれ。そこから先はあんたの努力だ」
そして松橋さんは、真面目に努力する人間は成果を上げられなくても、仲間として認めた。
「努力を認めたら、俺がやることはその人が結果を出せる持ち場に割り振ること。そういう使い方をしてあげねば、人はくさってしまう」
適材適所で活躍の場を作る。マタギの番割りと一緒だ。

88歳までチェーンソーを自在に操っていた

マタギの引退に続き、松橋さんは88歳のとき、定年退職後も続けていた林業の仕事を完全に引退した。
16歳から営林署の作業員として働きだしたが、6カ月ごとの契約で日当180円。20歳を過ぎても待遇は変わらず生活設計が立たない松橋さんに、近所の木材会社の社長が「山の伐採の仕事をやらないか?」と声をかけてくれた。営林署の仕事ぶりから責任者を任せたいと言われ、それから林業ひと筋である。
狩猟シーズンには作業員に日当を出し、全員を引き連れて巻き狩りをした。その日の仕事は他の日に何倍も働いて挽回する。とはいえ、それは勤務中に副業をしていたということで、ちょっとまずいのでは?
「んだ。ちょっと俺もずるかった。とにかく猟期になると熊獲りに行きたくて血が騒ぐんだものな」
エヘヘと笑い、松橋さんは右手でこつんと自分の頭を叩く。

社長にも、親方の自分についてきてくれた仲間にも、それから人生のほとんどの喜びを授けてくれた山の神にも感謝しかない。
「88歳まで、伐採した丸太の一番上を歩いてチェーンソー使ってたんだよ。どうしてそんな危ないことをって言われても、それをできる人が88歳の俺しかいねがったからって話だ」
けろりと話し、今度は大きな声で笑った。
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