風刺作品が出せなくなりピンチに… 蔦重を救った「喜多川歌麿」が手がけた美人画の斬新さ 

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大河ドラマ べらぼう 蔦屋重三郎 喜多川歌麿
花魁(写真: NOWHERE / PIXTA)
NHK大河ドラマ「べらぼう」では、江戸のメディア王・蔦屋重三郎(つたや・じゅうざぶろう)を中心にして江戸時代中期に活躍した人物や、蔦重が手がけた出版物にスポットライトがあたっている。美人画を得意とした喜多川歌麿もその一人だ。連載「江戸のプロデューサー蔦屋重三郎と町人文化の担い手たち」の第18回は、蔦重と歌麿の関係性や特徴的な作風について解説する。

蔦重の家に居候していた喜多川歌麿

今は昔ほど行われることが少なくなったが、編集者が書き手に自社の原稿に集中してもらえるようにと、ホテルや旅館の一室に閉じ込めることを「カンヅメにする」と呼ぶ。それだけいろんな出版社から依頼が舞い込んでいるということでもあり、売れっ子作家の証ともいえよう。

蔦屋重三郎もそんなふうに流行作家をカンヅメ状態にすることがあった。浮世絵師の伝記・経歴を考証した『浮世絵類考』には、ある浮世絵師について、次のように書かれている。

「絵草紙問屋蔦屋重三郎に寓居」

この浮世絵師の名は、喜多川歌麿(きたがわ・うたまろ)。蔦重が立ち上げた耕書堂との仕事が多いため、いっそのこと一緒に住むことになったらしい。

蔦重が重宝した歌麿は、はたしてどんな人物だったのか。

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