AIにはできない"良質なお節介"を育てる「ユニークな学園」の日常風景、「頭の良さだけではどうにもならないことがある」《東京・自由学園》

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食事作りの様子
自由学園の高等部では、みんなで食べる昼食を家庭科の一環として、生徒たちが当番制で作る。その過程で学ぶことは多い(撮影:梅谷秀司)
とかく煙たがられる「お節介」。「いらぬお節介」は確かに迷惑なこともあるが、お節介な人がこの世の中からいなくなってしまったら、日本はもっと殺伐としてしまう気もする。
今やスーパーのレジにはセルフレジが増え、ファミレスでの注文はスマホ経由が当たり前になった。人と関わることなく生活ができてしまう時代は加速する一方、他人の善意に触れる機会も減っている。
そうした「合理化」はいいことばかりなのだろうか。思想家・内田樹さんは、お節介な人は一定数必要で、だいたい全体の15%くらいが丁度良いと語った(前記事)。しかし、こと現代においてはそれがなかなか難しい。
では「良質なお節介」ができる人をどのように育てていけばいいのか。そのヒントを探し、ユニークな教育で知られる自由学園(東京都東久留米市)を訪ねた。

大切にしているのは「生活からの学び」

自由学園の創立者・羽仁もと子(1873−1957)はとてもパワフルな女性だった。明治から大正にかけ、報知新聞の記者としてその筆を振るい、その後は現在も続く生活雑誌『婦人之友』につながる『家庭之友』を創刊。「家計簿」の生みの親としても知られ、夫・吉一と共に出版社を経営する経営者でもあった。

もと子は、仕事とは、収入(お金)のためだけにするものではなく、自分が与えられている力を世の中のために使うこと、自分の担う役割、仕事が社会にいかに役立つかを自覚して行うことが大切だと伝えている。自分のためだけでなく、「人の役に立つ」「世の中のために働く」という考えは、まさに「お節介」の原点だろう。

そんなもと子が学園設立を考えたのは自らの子育てがきっかけだった。ある日、学校で小数点について習ってきた長女がこんなことを言ったのだ。

「やさしいのよ。点を打つところさえ間違わなければいいのだから」

日本の学校教育が機械的に知識を詰め込むだけで、本質を教えないものになっているのではないか。

そんな危機感を覚えたもと子は夫と共に1921年、東京・目白に女学校を創設。以来、キリスト教を土台に「よく教育するとはよく生活させること」を理念に掲げ、創立100年を迎えた今も一貫して「生活からの学び」を大切にしている。

【写真】ほかの学校とは一線を画す自由学園の日常を写真で(25枚)
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