思春期の「校則格差」が招く自己効力感の二極化 学校のプロが「学校に染まるな」と言う理由

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自由か束縛かを表現する女子高生
「校則は守って当然」「偏差値が低い生徒たちだから校則を厳しくしなければ……」。それって本当に正しいことですか?(写真:Graphs/PIXTA)
たびたび話題に上がる「ブラック校則」。見直しを進める学校が増えていますが、偏差値が低い学校では「校則を厳格にしないと学校が荒れる」といった偏見も根強くあります。
これに対し、数多くの学校を取材してきた経験を踏まえ、このほど『学校に染まるな! ――バカとルールの無限増殖』を上梓した教育ジャーナリスト・おおたとしまささんは「とんだ偏差値信仰あるいは偏差値差別」だと憤り、中高生にも「決して屈しないで」と呼びかけます。そう強く訴えかける真意とはーー?

バカとルールの無限増殖

学校のどこがイヤかって、いつどこで何をしてすごすかとか、どんな服装をどのように着こなすかとか、どんなヘアスタイルにするかとか、一般社会であれば日常的に選べる自由がことごとく制限されていることですよね。しかもそれが当然だと思われている。

学校は社会の縮図だなんてよくいわれていますが、どこが社会の縮図なんでしょうか。世の中は思い通りにならないものなんだよ、自分で選べると思ったら大間違いだよというあきらめのメンタリティーを刷り込むための装置として学校があるように思えることすらあります。

そんなメンタリティーを刷り込まれたひとたちに民主主義なんて運営できません。自分で選ぶことの喜び、難しさ、責任などを十分に経験できていないのですから。誰かが決めたルールに盲目的に従い、逆にルールが禁じていないことは何でもしていいんだと解釈します。

主体性を放棄して、思考停止に陥った大衆のできあがりです。主権者教育どころか、主権者意識の去勢です。統治する側からしてみれば、最高に扱いやすい。

思考停止に陥った大衆は、次から次へと新しいルールを求めます。自分で考えたくないから、自分で考えられないから、だれかエラいひとに、ルールで決めてくださいと頼むのです。ルールはひとが自分の頭で考える機会を奪いますから、ルールが増えれば増えるほどひとはバカになります。バカが増えるから、ますますルールが必要とされます。

バカとルールの無限増殖ループです。

そして思考停止に陥った大衆は、ルールを少しでも逸脱したひとを徹底的に攻撃します。

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