「働くとみんな豊かになるのか?」 労働と経済の《黄金の循環》が終わりを迎えた歴史的な背景
1つは、生産管理システムとしてテイラー主義が普及したことです。アメリカのフレデリック・W・テイラーは、19世紀末から20世紀初めにかけて、生産過程を細分化し、各作業を徹底した時間管理・動作管理の下に置くことによって、生産・経営の効率化を図ることを推奨しました。
テイラー主義と呼ばれるこの科学的管理法は、大量生産体制を世界的に普及させる大きな原動力になりました。この科学的な生産管理システムが広がるなかで、チャップリンの「モダン・タイムス」のように、「大工場のなかの一つの歯車」として流れ作業に従事させられる労働者が増加していきました。
2つ目は、そのような時代の社会思想として、「連帯」という考え方が台頭してきました。例えば、フランスの社会学者エミール・デュルケームは、19世紀末から20世紀初めにかけて、細分化された諸個人の自由や欲望が増大することによって社会が規律のない状態に陥ることを避けるためには、個人と個人の間の有機的な結びつきこそが重要であるとする「連帯」理論を説きました。この考え方は、その後の社会運動や法理論・法政策の展開に大きな影響を与えました。
各国の経済政策に影響を与えたケインズ主義
3つ目は、経済思想として新しく台頭したケインズ主義です。19世紀には、18世紀後半にフランソワ・ケネーやアダム・スミスによって提唱された自由主義思想が支配的になっていました。これに対し、イギリスの経済学者ジョン・メイナード・ケインズは、1936年に『雇用、利子および貨幣の一般理論』を公刊しました。
彼はそこで、自由放任主義に内在する構造的問題を克服するためには、国家の積極的な市場介入によって完全雇用を実現し、購買力を高めていくことが重要であるとする理論を展開したのです。この新たな経済思想は、その後の各国の経済政策に大きな影響を与えるものになりました。
これらの社会的・思想的背景のなかで、一つの標準的な労働者像が描き出されました。それは、「工場で集団的・従属的に働く均質な労働者」であり、この均質な労働者に対し、「福祉国家」と呼ばれる国家が集団的・画一的な保護を与えるというのが、20世紀の労働法の基本的な姿でした。
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