「うちの前を通っているのは第一京浜道路ですが、これは東海道の一部なんですよ。雑色は街道沿いの街ということです。幕府公認の品川宿と川崎宿の間にある街です。
こっちから川崎宿に行くのには、多摩川を渡る必要があるのですが、貞享5年(1688年)の大洪水で橋が崩壊したあとは、渡し船が主な交通手段になった。
危ないので、渡し船は夜間は運行しませんでした。だから、このあたりにも安い宿がいくつかあったようです。昔の資料を読むと、茶屋も数件あったといいます。芸者さんもいたのかもしれません。幕府公認の宿場ではないのですが、わりと栄えていた。こうした街を”間宿(あいのしゅく)”と呼ぶそうです」(山崎さん)

雑色は、品川や川崎の影に隠れているような街だが、その2つの街に比べて物価が安いと街の人たちは口を揃える。江戸時代、間宿と呼ばれた頃から続く地域の特性なのかもしれない。
オーケーの本社移転で、商店街に活力が
山崎さん曰く、物価の安さの理由はこうだ。
「川崎、品川に挟まれた場所にある街としての差別化もあるでしょう、でもなによりオーケーさんの頑張りに商店街が引っ張られているからだと思います。
雑色駅前のオーケーサガン店(大田区仲六郷2-43-2)の土地はもともと第一パンの工場でした。工場移転後しばらくは、オーケーと西友が階を分けて営業していました。8階建てのビルなのですが、当時は5階から上にボウリング場などが入っていた。
実はその後、ボウリング場が撤退し、そこにオーケーの本社機能が移転してきたんです。ちょうどその頃からエブリデイロープライスをうたって、オーケーの快進撃が始まった。だから、オーケーサガン店は今でも品揃えがいいし、調剤薬局なども入っているいわば旗艦店的な店舗なんです。
そしてもちろん安い。その頑張りに商店街全体が歩調を合わせているようなところがある。だから街全体の物価が安い」(山崎さん)
同社の本社機能は、2016年に横浜のみなとみらいに移転するまで、ここに置かれていたという。物価も気になるが、家賃相場も気になる。聞いてみると、やっぱりリーズナブルだった。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら