パイロットも歓迎していた。経験者の体験記事は操縦感覚や軽快さを評価している。おそらくは操縦していて楽しい飛行機だったのだろう。
ただし、輸送機としては失敗作だった。それは、航空輸送の能力からすると、いいところがまったくないためだ。
まず、輸送力そのものが低い。最大搭載量は8トンしかない。同世代機が15トン以上を搭載する中では際立つ低能力だ。貨物室の容積も半分程度でしかない。
次に、飛行距離も短い。額面上の最大輸送距離は2000キロメートル超と、同世代機の7割程度でしかない。実運用は安全確保が必要となるので、さらに短く1000キロメートル程度となってしまう。
これは東京から北海道の稚内、鹿児島までの片道距離でしかない。多少のリスクを許容しても、小笠原にある硫黄島までの片道1200キロメートルが限界であった。
低性能・高価格、でも「国産」だから
それでいながら高価格である。後述するが、アメリカ製の4発輸送機が30億円の時代に、双発のC-1は40億円もした。各種の性能は半分以下だが価格は3割以上も高かった。

こういった問題を抱えてしまったため、導入は早い段階で中止となった。その契機は、1979年1月4日の『朝日新聞』記事である。海上自衛隊がアメリカ製のC-130輸送機を買う。戦時にはそれで宗谷海峡に機雷を敷設するとの内容だった。
この記事でC-1の失敗が明白となった。当時の防衛庁が推していたC-1について、海自が性能不足と高価格を理由に覆したのだ。
海自の判断は正しかった。実際に、よいところは1つもない。機雷搭載量はC-130の32個に対してC-1は8個しか積めない。飛行距離も大差がある。C-130なら出発地となる青森の海自八戸航空基地から宗谷海峡まで直接往復できるが、C-1は北海道の空自千歳基地で一度給油する必要があった。価格はC-130の30億円に対してC-1は40億円である。
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