そしてC-1は終わった。報道で問題点が明瞭に示され、そのうえで、上位互換かつ安価なC-130導入が決まったからである。C-1を追加製造する理屈は立たなくなった。
おそらくは当時の大蔵省主計局も関わっていたのだろう。今でもそうだが、主計局は防衛予算編成に際して文民統制機能を発揮できる唯一の組織である。C-1の不経済を問題とする立場であり、同時にC-130の導入に内諾を与えられる立場でもある。
この時のC-130が、今の空自のC-130Hである。海自輸送機のほうが高性能だと空自の面目は立たない。だから空自保有としたのである。
性能設定が不純な動機から来ていた
なぜ、C-1は失敗作となったのだろうか。それは、国産開発のために、いびつな性能設定をした結果である。C-1では「国産する」という結論から逆算して要求性能を設定した。逆に言えば輸送機本来の性能や経済性を追求しなかった。そのため残念な出来となった。
国産開発には「海外製では対応できない」との理由が必要である。それがなければ「市場で海外機を買え」となるからである。開発費や開発期間は不要となり開発リスクも回避できる。
当時なら「アメリカ製のC-130輸送機では対応できない」という理屈だ。すでにC-130は傑作輸送機であり、西側空軍における第1選択肢であった。その“鉄板”輸送機をわざわざ選ばない理由が必要である。
加えて「ドイツ・フランス共同開発のC-160でも対応できない」理由も必要となった。C-130に及ばないまでも一定の評価を得ていた輸送機だからだ。
C-1開発はそこからの逆算である。「日本の環境ではC-130やC-160では不適当」。その理屈を作ることから始まっている。
そのために、自衛隊は何をやったか。第1に、政治状況を理由に最大飛行距離を短くした。C-1開発の物語では「長大な航続距離は『専守防衛に反する』との批判を浴びるため回避した」と言われる。これはウソだ。その本旨は、飛行距離が長いC-130とC-160の排除である。
何よりも、「長大な航続距離」が理由になるのは不自然だ。本来なら輸送機の飛行距離は長いほどよい。切り下げはありえない。また、輸送機は攻撃兵器ではない。旅客機改造の民間輸送機と本質的な差はない。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら