「自宅の6畳を改装」66歳で寿司屋を開業したワケ 定年後、一から修業した元広告マンの充実した日々

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貸し切り寿司
自宅を改装する際、6畳の部屋を貸し切り寿司の店舗にしたという河野透さん(撮影/大澤誠)
これから人は100年生きるという。しかし、お金や孤独、健康不安がなく老後を迎えられる人はどれくらいいるだろう。年を取ることが怖いーー。
多くの人が漠然とした不安を抱く中、老後の人生こそ謳歌している人もいる。その元気は、気力は、生きがいは、いったいどのようにして手に入れたのか。本連載では、“後期高齢者”になってなお輝いている先達に、老後をサバイブするヒントを聞く。
今回は、62歳で広告代理店を定年退職し、66歳で寿司屋を開業した河野透さん(80歳)に、人生後半戦で見つけた「生きがい」について伺った。

退職後に「寿司職人」を目指したワケ

「飯炊き3年、握り8年」。あるいは「3年かけだし、7年片腕、10年旅立ち」。寿司職人として一人前になるにはこんな掟のような言葉があり、修業元の店に弟子入りして最低10年はきっちり修業が必要だといわれている。

しかし、今回登場する河野透さん(80歳)は、新卒で入社した広告代理店を定年退職してから実質4年半ほどの修業を経て、66歳のときに出張寿司と1日1組貸し切り限定の「鮨かわの」を自宅の一室に開業した。

以来、今年で14年。新宿駅から私鉄で20分あまり、閑静な住宅街にある客席5席の小さな隠れ寿司屋を1人で切り盛りして、第2の人生を謳歌している。

河野さんの修業のスタートは、「飯炊き3年」ではなく、日本初の寿司職人養成学校として開校した東京すしアカデミーから。ここで基礎的なコースと集中特訓的なコースを受講し、卒業後はインターネットで見つけたテイクアウト専門の寿司屋で2年、その次に自宅と同じ沿線にある老舗寿司割烹で2年、見習いとして働いた。

【写真を見る】「ミニマムだけど機能的」おこもり感がいい! “自宅の6畳間”を改装した「貸し切り寿司の店内」(10枚)
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