「62歳で見習い修業」元広告マンの驚くリタイア後 66歳のとき、「自宅の6畳を改装」して寿司屋を開業

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寿司屋
66歳のとき、自宅の6畳を改装し、貸し切り寿司店を開業した河野透さん(撮影/大澤誠)
これから人は100年生きるという。しかし、お金や孤独、健康不安がなく老後を迎えられる人はどれくらいいるだろう。年を取ることが怖いーー。
多くの人が漠然とした不安を抱く中、老後の人生こそ謳歌している人もいる。その元気は、気力は、生きがいは、いったいどのようにして手に入れたのか。本連載では、“後期高齢者”になってなお輝いている先達に、老後をサバイブするヒントを聞く。
今回は、前回に続き、62歳で広告代理店を定年退職し、66歳で寿司屋を開業した河野透さん(80歳)に、人生後半戦で見つけた「生きがい」について伺った。
前回記事を読む→【「自宅の6畳を改装」66歳で寿司屋を開業したワケ

テレビ担当の「広告マン」として活躍

総務省によると、2023年の65歳以上の就業者数は過去最高の914万人。年齢階級別(※各年齢階級の人口に占める割合)では、就業者の割合は70~74歳では34.0%、75歳以上は11.4%と、いずれも過去最高。実に就業者の7人に1人が65歳以上という時代になってきている。

都内で『寿司かわの』を営む河野透さん(80歳)も、62歳で定年した後も途切れることなく働き続けている。定年後、数年間は寿司店で下っ端の見習いとして就業、66歳のときに寿司職人として“ひとり起業”した。

東京生まれの東京育ち。大学卒業後の1968年、新卒で広告代理店の東急エージェンシーに入社する。

営業部を経て、ラジオ・テレビの広告を担当する媒体部ラテ局に異動。以来、38年の社歴のほとんどをテレビ広告担当の広告マンとして活躍し、定年を迎えた。

【写真を見る】おこもり感がいい!「自宅の6畳間を改装した」貸し切り寿司の店内と、62歳から修業した河野さんが握った「江戸前寿司」(9枚)
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