「62歳で見習い修業」元広告マンの驚くリタイア後 66歳のとき、「自宅の6畳を改装」して寿司屋を開業

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河野さんは仕事人生を振り返って思うことが2つあるという。

1つは、人との付き合いをいかに大切にできるか。

望むとも望まざるとも、人との付き合いは人生にずっとついて回ることだと思うんです。その積み重ねが人生だなと。だから隣り合った人とどうしたらうまくいくかということを考えざるをえない。家庭においては、どうしたら女房と楽しくやっていけるか。町内では隣り合う家もそうだし、僕は酒飲みだから飲み屋で隣同士になった外国人ともそう。それが世界平和につながっていくと信じています」

寿司屋
自宅の6畳を改装して、貸し切り寿司を開業(撮影/大澤誠)
寿司
河野さんの握った寿司(撮影/大澤誠)

会社の外に出たら、長い老後が待っていた

もう1つは、これから定年を迎える人たちへ。

「仕事しかしてこなかった自分への自戒をこめて、会社の外でも内でもやりたいことを見つけましょうと伝えたい」と話す。

河野さんは広告マン時代、やりたいことが3つあった。自分で寿司を握れるようになりたい。ピアノを習いたい。英語をペラペラしゃべれるようになりたい。

出張寿司
出張寿司では、お客さんの自宅などプライベートの場で握ることが多い(写真/河野透さん提供)

それらは決して「定年後の夢」ではなく、30代でも40代でもやろうと思えば、いつかはできると思っていた。でも、結果として38年の在職中には、ついにその「いつか」はこなかった

「ピアノは姉が習っていて、僕も子どもの頃に習いたかったけれど、親父が許さなかったんです。昔だったし、ピアノは女がやるものだってね。

英語は30歳までにペラペラになるぞ! と勢いこんで、仕事が終わってから英会話スクールにも通ったんですけど、挫折した。夜は接待で飲み屋ばっかりになって(笑)。習い事は好きなんだけど続かない」

河野さんの毎日は残業と接待。仕事のことばかり考えて猛烈に働いた。結果に結びついて、業績も給料も上がる。年齢が上がると河野さんいわく「なんとなく自動的に」役職もあがっていく。そういう時代だった。

そして、62歳で会社の外に出たら、長い老後が待っていた

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