「62歳で見習い修業」元広告マンの驚くリタイア後 66歳のとき、「自宅の6畳を改装」して寿司屋を開業

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大阪万博開催の1970年にカラーテレビの世帯普及率は90%を超え、電通「日本の広告費」によると、1975年にテレビ広告費が初めて新聞広告費を抜き、4208億円に。河野さんは好景気の波に乗るテレビ業界のど真ん中にいた。

「僕の時代はどこの会社もそうだったように、毎年給料が1割ずつあがって、10年後には初任給の2倍になりました。経費は使い放題。夜は接待漬けで、その日のうちに自宅に帰ったことなんてありませんでした。仕事のことばっかりで24時間・365日が回っていたようなものでした」

ネタケース
重ねて運べるネタケースは自作したもの(撮影/大澤誠)

定年後、一から寿司職人の修業の道へ

そして、62歳で定年。定年後に起業する、いわゆるシニア起業では前職の経験や技術、資格を生かして同業の道を選ぶ人も多く、そのほうがリスクも少ないだろう。しかし、河野さんが選んだ仕事先は寿司店の見習い。好きな寿司を握るための勉強だった。

寿司職人養成学校の「東京すしアカデミー」で学んだ後、インターネットで見習い募集の店を探して、応募した。上下関係が厳しいとされる職人の世界に、未経験の62歳が飛び込んだわけだ。

河野透さん(撮影/大澤誠)

「職人の世界で、サラリーマンだった年寄りが下っ端でやっていけるか。そこが僕にとって、第2の人生の1番のポイントだったかもしれません。

現役時代は何十人も部下がいて、経費も使えて寿司屋にもたくさん行った。会社の肩書に守られて、なんか偉そうにしていられたわけですよ。

そのサラリーマンがずっと年下の親分に教わる。その踏ん切りというか覚悟というか、そういうものを見習い修業で持つことができた。それで、その後の人生がずっと楽になりました」

面接のときに心がけたのは、変に自分を取り繕ったり大きく見せようとしたりしないこと。本当のことを言う。特に何かを気をつけようとか、ボロを出さないようにしようなどは考えない。自然体で臨んだ面接では、自身のことをこう語った。

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