村上春樹も住んだ男子寮「和敬塾」の濃密な日常 令和でも健在「同じ釜の飯を食う」濃い人間関係
細川侯爵邸だった本館は1936年に建てられた威厳に満ちた建築だ。戦災を免れたため、建物は当時の面影をほぼそのまま残す。和敬塾の開設当初はこの本館に学生が住んでいたが、今は住んでいる学生はおらず、シンポジウムや交流スペースなどに活用されている。
事務所の上にある大講堂の前には、過去に大講堂で講演をした著名人の色紙が飾られている。
まず目に入るのが、カリスマ的な人気を誇った田中角栄元首相の名前である。先日焼失してしまった「目白御殿」と呼ばれた田中邸は、和敬塾と目と鼻の先にある。そのほか、物理学者の湯川秀樹、思想家の安岡正篤、ソニー創業者の井深大、俳優の森繁久弥、元京都大学学長で人類学者の山極寿一などそうそうたる顔ぶれが並ぶ。
寮への帰属意識や愛着、結束力が極めて強い
学生ホールには食堂のほかに大浴場がある。和敬塾には東寮、西寮、新南寮、北寮という4つの大学生向け寮があるが、食堂と浴場はあえて1つにしている。「学生が顔をつきあわせて交流できるようにしています。今時珍しいかもしれませんが、同じ釜の飯を食い、裸の付き合いをすることで、新たな交流の輪が生まれます」(佐々木さん)。
学生寮のうち、2009年に西寮と北寮を建て替えた。これが最新の建物だという。建物を建て替えるときに2つの寮を統合する考えもあったが、結局建物の間に非常時の連絡通路だけをつけ、建物としては独立させた。
その理由は、和敬塾では自分の住む寮への帰属意識や愛着、結束力が極めて強いからだ。和敬塾の入寮者やOBはほぼ例外なく、「北寮出身」「西寮出身」などと名乗って話し始める。出身寮によって雰囲気も個性もまるで違い、OB会も和敬塾全体のもの以外に各寮で組織されている。「学生たちはだんだん各寮の雰囲気になじんでいき、そこで濃密な人とのつながりを持つことで自分の居場所ができるようになるのです」(佐々木さん)。
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