いずれにしても、ファミレスの二極化は、「一億総中流」の崩壊とイコールなのである。
「誰もが顧客」から「選ばれる顧客」の時代へ
ついでに述べておくと、こうした二極化の進展は、裏返していえば、「お客様は神様です」という、日本人にどこか浸透した認識が終わりに向かっていることも表している。
人口減少によって、一見すると顧客の数は減っているように見えるが、それだけ各社は、より何度もそのお店に足を運んでくれる優良な顧客を選ぶようになる。
かつてのように「誰でも」「たくさん」入れる方向から、顧客ターゲットを絞り、ロイヤルカスタマーに満足してもらい、リピートしてもらうような戦略を取る。企業側の取る戦略が「量から質」になるのだ。
二極化戦略とはまさにそうしたことの表れであるが、そんな時代において、これからの時代の顧客は、誰もが「顧客候補」になっていた時代から、むしろ「選ばれる顧客」にならなくてはいけなくなっている。
さまざまな要因が重なってはいるものの、カスタマーハラスメント(カスハラ)による過度な「消費者第一主義」への見直しも、企業と顧客の関係性に変化を促しつつあるだろう。
冒頭の話に戻る。『花束みたいな恋をした』では、明らかに経済的に格差のある主人公2人が、ファミレスを大きな舞台の一つとして親密になる。しかし、その恋愛は最終的に破局し、それぞれは別々の道を歩み始める。今思えば、これは、ファミレスの変化をも予期していたかのようにさえ感じられる。
「一億総中流」が生み出した「みんなの空間」は、うたかたの幻だったかのように終わりを迎え、それぞれの階層の人はそれぞれのいるべき場所に戻っていく。その意味でも、同作品の「切なさ」は今の私たちをめぐる経済状況の切なさと、どこかリンクしているのである。
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