ファミレスが「オワコン化」する裏で進む大変化 「二極化」の背景には一億総中流の"崩壊"がある

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いずれにしても、ファミレスの二極化は、「一億総中流」の崩壊とイコールなのである。 

「誰もが顧客」から「選ばれる顧客」の時代へ 

ついでに述べておくと、こうした二極化の進展は、裏返していえば、「お客様は神様です」という、日本人にどこか浸透した認識が終わりに向かっていることも表している。 

人口減少によって、一見すると顧客の数は減っているように見えるが、それだけ各社は、より何度もそのお店に足を運んでくれる優良な顧客を選ぶようになる。 

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かつてのように「誰でも」「たくさん」入れる方向から、顧客ターゲットを絞り、ロイヤルカスタマーに満足してもらい、リピートしてもらうような戦略を取る。企業側の取る戦略が「量から質」になるのだ。 

二極化戦略とはまさにそうしたことの表れであるが、そんな時代において、これからの時代の顧客は、誰もが「顧客候補」になっていた時代から、むしろ「選ばれる顧客」にならなくてはいけなくなっている。 

さまざまな要因が重なってはいるものの、カスタマーハラスメント(カスハラ)による過度な「消費者第一主義」への見直しも、企業と顧客の関係性に変化を促しつつあるだろう。 

冒頭の話に戻る。『花束みたいな恋をした』では、明らかに経済的に格差のある主人公2人が、ファミレスを大きな舞台の一つとして親密になる。しかし、その恋愛は最終的に破局し、それぞれは別々の道を歩み始める。今思えば、これは、ファミレスの変化をも予期していたかのようにさえ感じられる。 

「一億総中流」が生み出した「みんなの空間」は、うたかたの幻だったかのように終わりを迎え、それぞれの階層の人はそれぞれのいるべき場所に戻っていく。その意味でも、同作品の「切なさ」は今の私たちをめぐる経済状況の切なさと、どこかリンクしているのである。 

谷頭 和希 都市ジャーナリスト・チェーンストア研究家

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たにがしら・かずき / Kazuki Tanigashira

都市ジャーナリスト・チェーンストア研究家。1997年生まれ。早稲田大学文化構想学部卒業、早稲田大学教育学術院国語教育専攻修士課程修了。「ゲンロン 佐々木敦 批評再生塾 第三期」に参加し宇川直宏賞を受賞。著作に『ドンキにはなぜペンギンがいるのか』 (集英社新書)、『ブックオフから考える 「なんとなく」から生まれた文化のインフラ』(青弓社)がある。テレビ・動画出演は『ABEMA Prime』『めざまし8』など。

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