先日、『ディズニーで進む「デジタル音痴の排除」の真因 資本主義の加速で「機械が人を選ぶ」時代に?』という記事を書いた。
東京ディズニーリゾートのチケット代は上昇し続けており、ある程度裕福でなければそこで遊べなくなった。また、コロナ以後取り入れられたアプリのシステムによって、デジタル機器を使いこなせない人もパークを楽しめない。
記事では、こうした取り組みによってオリエンタルランドは「客層のコントロール」を行っているのではないか、と指摘した。
記事に寄せられたさまざまなコメントの中で目立ったのは「変わっていくディズニーに対する寂しさ」を語るもの。ディズニーの政策に理解を示しつつも、どこか寂しさがあるのだ。
実はこの感想は現在のディズニーリゾート、さらには日本の社会のあり方を考えるうえでも重要な意見である。
「量から質へ」は必然的な流れ
大前提として、ディズニーが「客層の選択」を行うのは責められないし、仕方のない側面がある。


















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