そもそも、日本におけるディズニーランドの歴史を見ていくと、それは戦後の「一億総中流」と呼ばれた大衆と深い関係を持ちながら展開してきたことがわかる。
1958年から1972年には、テレビ番組『ディズニーランド』が放送され、夢の国のようなディズニーランドの姿をアメリカへの憧れとともに、多くの日本人家庭の目に焼きつけた。
1983年、浦安に東京ディズニーランドが誕生したときのチケット代は大人・3900円。その後は、数百円程度の値上げをする年があるものの、基本は料金据え置きの状況が続く。チケットが5000円を超えるのは、1997年3月、つまり開園から14年後のことなのだ。毎年、1000円ずつ値上がりをしていく現在とは、まったく違う状況だったことがわかる。
コンサルタントの鈴木貴博は「一億総中流であり、かつ、みんなが浮かれていたバブル時代にはあまねく若者を受け入れてきたディズニーリゾート」と表現している。
確かに、現在よりもさまざまな人々を迎え入れてきたのがディズニーリゾートだっただろう。もっと言えば、(1980年代にはすでに格差の拡大傾向はあったものの)「一億総中流」という「みんな横並び」の時代を体現するような存在であったともいえる。
「格差社会」がそのまま可視化されたディズニーの変化
しかし、上述したように近年のディズニーリゾートはそうした「みんなのため」という幻想というか、呪縛を脱ぎ捨て、明確にそこに訪れる人のコントロールを行っている。
早稲田大学教授の橋本健二が指摘しているように、特に東京に絞ってみると1980年代中頃からさまざまな面での格差が進行している。2006年には「格差社会」が流行語になったが、この格差は現在もなお進行し続けているのだ。
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