東京の中でさえそうなのだから、地方・都会でいえばその差はさらに顕著になっているだろう。「一億総中流」は幻の言葉となって久しいのである。
そんな中、ディズニーはよりそこで多く消費をしてくれる人に向けた戦略を打っていく。いわば、ディズニーの変化は「格差社会」がそのまま可視化されたようなものなのである。
40年の間で「テーマパークらしさ」を純化させた
そもそもテーマパークとは、その初めから、閉鎖性の強い場所であった。ディズニーランドは創設者であるウォルト・ディズニーの思想を強く反映させた「ユートピア」として作られた側面が強く、その「理想郷」を実現するためにパークの中からはその外側が見えないようになっている。まさに「排他的」な空間なのである(ちなみに、「高級な」を表す「exclusive」は「排他的な」という意味も持つ)。
その意味で東京ディズニーリゾートは、この40年の間で、より「テーマパークらしさ」を純化させていったともいえる。
「みんなの場所」から「選ばれた人の場所」へ。そしてその背後には「格差の拡大」がある。こうしたつらさも漂わせる空気を感じるから、どこかディズニーランドの変容には寂しさを覚えてしまうのではないだろうか。
社会の変化が、ディズニーランドという空間に可視化されて表れている。
このような「格差」がより露骨に可視化されている場所がある。スキー場で有名な、北海道の「ニセコ」だ。
ここ数年、ニセコで売られているものの値段が常軌を逸している……というのは、よくニュースになるところだ。最近も、ニセコエリアのスキー場1日リフト券が1万円を超したことが報道され、「地元民が行けない」「もはや外国人の街だ」という感想がSNSを賑わせた。
実際に私も現地を訪れたことがあるが、そこにはほとんどインバウンド観光客しかおらず、北海道のローカルコンビニ「セイコーマート」では1万4000円以上するシャンパンが売られていた。つまり、ここは「裕福な外国人観光客のための街」になっている。
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