路上ライブは「グレーな文化」として容認すべきか 「迷惑行為」「アーティストとしての表現」境界線

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路上ライブが盛んな川崎駅前には市などからの「お願い」が貼られている(写真:松原大輔)
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今年5月に新宿駅東南口で路上ライブをしていたアイドルグループの運営とメンバーが道路交通法違反の疑いで書類送検された。
以前より筆者は新宿駅南口近辺での路上ライブ問題に関して取材を続けていたが、ひとつ動きが見えてきた様相だ。
悪質な路上ライブに対しては警察当局が取り締まるという姿勢を見せたことは路上ライブを行うアーティストに対して大きく影響する。
そしてそれは路上ライブという「グレーである文化」が白黒はっきりとさせられるターニングポイントに来ているのかもしれない。
*この記事の前半:【遂にアイドル摘発】「路上ライブ」取り締まるべきか

アーティストの表現の場としての路上

今回、新宿駅東南口(以下、東南口)で路上ライブを行っていたアイドルが書類送検されたことは大きなターニングポイントとなるだろう。

事実この報道後、東南口および新宿駅南口(以下、南口)で路上ライブを行うアーティストの数は、見た限りでは一時よりも減っている。

さらには報道後、南口で演奏していたアーティストが警察に任意同行される事態となった。

このとき、警察の任意同行に応じたアーティスト、Chapa didgeridooさん(以下、Chapaさん)に話を伺った。

Chapaさんは海外でも路上ライブを行うなど、路上も自身の音楽活動を表現する場所として位置づけているアーティストのひとりだ。

「新宿では4~5年前から路上ライブをやっているので、いつかこういう日が来るかも、とは覚悟はしていました。いつも注意に来る警察官の感じとは雰囲気が違っていたので本気なんだとすぐわかりました」

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