路上ライブは「グレーな文化」として容認すべきか 「迷惑行為」「アーティストとしての表現」境界線

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そもそも路上ライブはグレーなものなのだろうか。それは、路上ライブそのものは法的には明確に禁止されているものではないということだ。

取り締まりの対象となるのは道路交通法違反や地方公共団体による条例違反だろう。路上ライブそのものを禁止し罰する法律はない。だからこその「グレーな文化」であるといえる。

ここで、少し例を出すので想像してもらいたい。

かなり極端なたとえになるが、駅前の広場でひとり、アカペラで歌っていたとする。男性でも女性でもいい。それもかなりの美声だ。

音源も使わず、マイクもアンプも自己紹介のボードもない。取り立てて通行の邪魔にもなっていない。ただ、そこで歌声を披露している。

これも立派な路上ライブである。

はたして印象はどうだろうか?

もちろん不快だという人もいると思うが、大半は黙認し素通りするのではないだろうか。仮に通報されても歌うのをやめれば事なきを得るだろう。

つまり、迷惑行為とみなされない限りは、路上ライブは「グレーな行為」であるということである。

「アーティストの技量」により変わる「迷惑度」の印象

そして、あまり言及されないが、迷惑かどうか判断される基準のひとつに「アーティストの技量」もある。

先ほどのたとえで言えば、かなり音程の外れた歌声だったらどうだろうか。聴くに堪えない状況。逆にこちらは迷惑行為と受け取られる可能性が高い。

テレビ番組の企画ではないが、逆にこの歌い手がプロの歌手。変装した有名アーティストだとする。

駅前の広場に響き渡るのは超一流の歌声と聞いたことのある名曲。迷惑どころか、かなりの確率で許容されるのではないだろうか。

ただし、人だかりができれば当然、通行の妨げになるのでこれは迷惑行為となるであろう。極端なたとえではあったが、アーティストの技量も影響していると言えるだろう。

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