この年は、法学部のカリキュラムで必修科目がなく、「気まぐれで好きなことしかやらない自分に向いている」と思い、京都大学を第1志望に設定します。
宗前さんは、駿台の授業で学問の本質的な理解を深めたこともあり、充実した浪人生活を送りました。
「駿台の英語を教える力はすごかったです。基礎から始まり、英文には文章構造があって、構文を理解しないとダメだと教えてもらいました。単語力だけで突破しようとしていた自分からすれば目から鱗でしたね。このおかげで、英語力が一段と上がりました」
この当時の宗前さんは、所沢から御茶ノ水まで通い、9時から授業が始まって15時まで受けた後、自習室が常に満席だったため家に戻って勉強する日々を送っていました。苦手だった数学は、代々木ゼミナールの単科コースを取ったことも奏功し、「ある時期までは成績が順調に伸びている感覚があった」そうです。
北海道大学への出願を決意
模試で京大のC判定も取れた1浪目。しかし、この年も共通1次試験の数学で失敗し、670点に終わりました。2次試験では望みが薄かった北海道大学の文2系に出願します。
「当時の北海道大学は、東大と同じように最初の2年が文1系、文2系、文3系と分かれていて、受験科目も課程ごとに違いました。私は3年生になったら主に経済学部に進む文2系(受験科目:英語・数学・国語)と、主に法学部に進む文3系(受験科目:英語・小論文)のどちらかを受験しようと迷っていたのですが、この時期は数学ができるようになっていたので、試験で出題される大問4問をすべて解ければいけると思い、文2系を受験しました」
文2系は経済学部が主な進路であるものの、成績が優秀な5名程度は法学部に進学できるということもあり、大逆転合格をかけて出願した宗前さん。
しかし、本番の数学で完答できたのはまさかのゼロ問。併願で受けた慶応義塾大学の法学部政治学科と中央大学の法学部法律学科も落ちていたため、1浪目の全落ちが確定してしまいました。
「今考えればわかるのですが、勉強量も十分じゃなかったですし、自分なりの勉強の仕方も確立してないので落ちて当然だったと思います」
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