この年は併願だった慶応義塾大学の経済学部と同志社大学の法学部に合格していたこともあり、少し落ち着いて試験に臨めた宗前さん。手応え的に受かっているのかどうかわからなかったそうですが、現地まで合格発表を見に行きました。
「自分なりに(この3年間の)ケジメをつけるために東北大学まで見に行きました。出願が最後のほうだったので、私の番号はすごく後ろのほう。そのため、掲示の紙の下のほうに合格番号があるはずなのですが、人が多すぎて『見えない、見えない』と思いながら、隙間から掲示を見ていました。
上から番号を確認して、掲示の紙のスペース的にも、もう合格者がいちばん下の番号の1人しかいないところまでいきました。『誰なんだ、誰なんだ』とドキドキしていたのですが、それが自分の番号で、すごく感激しました」
合格者としては最後の番号に自分が掲載されていたことに感動した宗前さんは、こうして激動の浪人生活を終えることになりました。
浪人しなくてもよかったと今では思う
こうして2年に及ぶ浪人生活を終えた宗前さん。浪人してよかったことを聞いたところ「ありません」との答えが返ってきました。ただ、結果的に浪人を経験したことで、「自分の特性を理解できるようになった」と語ります。
「私は見栄っ張りなので、旧帝大に行かないといけないと思い、頑張っていました。でも、琉球大学で教えたときに学生の勉強する意欲に圧倒されたのです。そこから本土の早慶や神戸大の大学院に進んだ優秀な子たちを見ていると、現役で身の丈にあった大学に進んで研究者になるルートもあったと思いますね。
浪人はしないで済むならしないほうがいいと思います。ただ、私に関して言えば、何事にも時間がかかる人間なのだとわかるようになりましたし、もう一踏ん張りしてみようと思えるようにもなりました。2浪して東北大に行けたから、面白い出会いがあり、道が広がったのだと思います」
東北大学に入学した当初、宗前さんは、与野党伯仲で選挙運動が激しい時代に少年期を過ごして政治に関心を持ったこともあり、新聞社に入るか、官僚になるか悩んだと言います。
その過程で、もっと自分を追い込む環境に身を置いて成長したいと思ったところ、1987年の入試で史上初めて東大と京大の併願が可能になったことから、2年生進級のタイミングで1年間東北大学を休学し、仮面浪人を決意しました。
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