東京に戻って2浪のときに働いていたファミレスで契約社員になり、働きながら再受験をしたものの、不合格に終わってしまいます。東北大に復学してからは自分の適性をより深く理解し、政治分野を専門とする大学教授になることを決意しました。
「私は人生の節目ではちゃめちゃな決断をしてしまう人間なんです。でも、この失敗で政治の内側に入るのではなく、分析をするのがいちばん向いているんだと気づくことができました。
2年の遅れまでなら一般的な企業に就職できると言われていたバブルの時代でも、2浪1留で『プラス3』になってしまうので厳しいと思い、研究者の道に進む決意を固めました」
恩師との運命の出会い
この3年の遅れが、自身のその後の研究者としてのキャリアを切り開いてくれたそうです。そのきっかけが、現代政治学の権威、大嶽(おおたけ)秀夫先生との偶然の出会いでした。
「東北大の大学院に進もうと思い、現代政治学の先生を探したところ、大嶽先生がいらっしゃいました。たくさん本を出されている方だし、先生自身がちょうどドイツへの留学から帰ってきたばかりだったので、いいタイミングだと思いました。
3年生から大嶽先生のゼミに入って、4年生のときに大学院の研究室に入る了承をいただいた後、院試の一般受験に合格して先生の門下で学ぶことになりました。あとでわかったのですが、学生が『大学院で先生の研究室に進みたい』と言っても、先生が断っていた人のほうが多かったみたいです」
大学院の2年生になる前に、大嶽先生が京都大学に異動されたことから「東北大での最後の弟子だった」と語る宗前さん。弟子に対して強要せず、自由に研究させてもらったことが、宗前さんの現在につながっています。
駆け出しの学者だったときに、師匠が大嶽先生だったことを伝えたら、そのたびに相手の見る目が変わったほどすごい研究者だったことも後々気づいたそうです。
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