どうすれば大学教授になれるのかと考えたときに、メジャーな大学院に進んで、しかるべき先生の門下に入ることが大事だと思い、東大をはじめとする旧帝国大学に進学することを目標としました。
しかし、周りの同級生がとてつもなく優秀であったため、入学してから卒業まで、一貫して成績は低空飛行でした。
「武蔵中学校・高校は同級生が140~180人程度の学校です。当時、60~80名程度は東大に行くほどの進学校だったので、飲み込みが遅い私ではついていくのが精一杯でした」
「小学生のときは勉強のやり方を理解しなくても好成績を取れた」と語る宗前さんでしたが、中学生以降は気合いと根性ではなんとかならない領域に突入してしまったことが、スランプに陥った要因だったと宗前さんは考えます。
中学生の最初のころは144人中120番くらいの成績でしたが、高校2〜3年のほうになると高校入学組を合わせた178人中、つねに後ろから4番目の成績になってしまいました。
机に4〜5時間は向かっていて、勉強そのものはしていたものの、「本を読んでしまったり、ラジオを聞いたりしていて集中はできていなかった」と、宗前さんは中学〜高校の日々を反省しています。
東北大を受験したものの…
「高校の先生はすごくいい授業をしてくださっていたのですが、集中力がもたなくて部分的にしか頭に入ってきませんでした。そういう生活をしているうちに、高校3年生になって、もう今年は東大や旧帝大には間に合わないと思うようになりました」
当時の共通1次試験は5教科7科目で1000点満点。東大が900点、東北大学でも830点前後がボーダーのところ、630程度しか取れなかった宗前さんの現役時の受験は、ダメもとで東北大法学部を受け、不合格に終わってしまいました。
「なんだかんだで共通1次も7割くらいは取れるんじゃないかと思ったら、想像以上にできなくて驚きました。得意科目の政治経済・現国はノーミスだったのですが、それ以外は壊滅的だったのは覚えています。だからもう東北大学は、来年以降の受験に備えて『どんな感じか見てこよう』という気持ちで受けた受験でした」
私立大学の併願もせずに、現役の受験を終えて浪人を決断した宗前さん。浪人を決断した理由を聞いたところ、「東大が当たり前の学校だから、落ちても浪人するのが普通だった」と答えてくれました。
こうして宗前さんは駿台予備学校お茶の水校3号館に通うことを決め、勝負の浪人生活をスタートさせました。
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