宗前さんは1964年埼玉県所沢市で、元自衛官で不動産会社に勤務する父親と、和裁仕立て師として働く母親のもとに生まれました。
奄美群島沖永良部島の家系の生まれであった父親は、地元に産業がなかったこともあり、学問に対する熱意が大きかったそうです。そんな家庭に生まれた宗前さんは、自身も小さいときから勉強熱心かつ、頭の回転が早い子どもでした。
「小学校の同級生が200人いる中で、後に開成から現役で東大に進んだ同級生と私の2人の成績がとてもよかったのです。学校の授業よりも先のことを学びたいと思っていたときに、購読していた朝日小学生新聞に新宿の塾の案内が出ているのを見つけて、小学4年生の進級時にその塾に通うようになりました。親もまだ中学受験をする家庭が少ない時代に情報を仕入れて、小学4年生の3学期からは四谷大塚に通わせてくれました」
宗前さんは、毎週日曜日に50分かけて新宿の塾に通塾していたときのことを「ほかの子がやっていないから見栄を張りたかった」と振り返りますが、そのときに身についた勉強習慣が生きたためか、四谷大塚に移ってからも毎週土日の授業やテストを真面目に受け、6年生になってからは四谷大塚と並行して地元の塾に通いながら受験勉強を重ねました。
その甲斐あってか、中学受験では開成・麻布とともに私学男子校「御三家」と称される武蔵中学に合格しました。
武蔵で充実した生活を送るが成績は低迷
日本トップレベルの学校に進んだ宗前さんは、学校での授業がとても自身の肌に合っていると感じました。
小学校から中学校にかけてラジオと鉄道が好きだったことから、放送業界か鉄道会社に入りたかったそうですが、高校2年生のときには、学校の授業がきっかけで大学教授・研究者になりたいと思うようになりました。
「武蔵高校の授業はアカデミックで、対象を深く掘り下げることを重視するものだったのですが、それがとても面白かったのです。なぜ先生方の授業が面白いのかを考えると、背後に深い知識があるからだと思い、私も先生のように深い知識を身につけて、学問を追究する生活をしたいと考えるようになりました」
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