漫画家デビュー後も富山で活動していた2人は、満賀が高校卒業後に勤めていた新聞社を退職したのを機に上京する。しかし、最初に住むのは両国にある満賀の親戚の家で、かの有名な「トキワ荘」に引っ越すのは約9カ月後。〈『まんが道』=トキワ荘〉のイメージがあるが、トキワ荘が舞台の中心となるのは物語全体の半分以上を過ぎてからなのだ。
トキワ荘の部屋は四畳半だが、両国の部屋は二畳だったので倍以上。「四畳半って広いなあ!」「なんせ足を思いっきりのばしても壁につかないからなあ!」という広々とした(?)部屋で、2人は思う存分マンガを描く。新雑誌『ぼくら』の連載、『幼年クラブ』の別冊ふろく62ページ、『少女クラブ』の別冊ふろく64ページ、『漫画王』の休載穴埋め4ページと、仕事も次々舞い込んでくる。が、それは2人のキャパを超えるものだった。
アニキ分である「テラさん」こと寺田ヒロオに「新人の第一条件は締め切りをかならずまもることだよ!」と助言されながら、『少女クラブ』の締め切りを大幅に破ってしまう。担当の若い女性編集者は交代させられ、ベテラン編集者が印刷所と交渉の末、「ギリギリ明後日の昼まで」とデッドラインを設定。徹夜続きで睡魔に襲われると、互いの腕をペン先で刺しながら気力を振り絞って何とか描き上げる。1人なら無理だったかもしれないが、2人だからこそピンチを乗り切れたのだ。
自分たちを抜擢してくれた女性編集者に迷惑をかけたことを反省し、「今度こそ もうあんなに遅れないようにキチンとやろう!」「うん! ペース以上の仕事引き受けるの もうよそうな!」と誓い合う2人。ところが、きれいな女性編集者や恩のある編集者に頼まれると断れない2人は、またキャパ以上の仕事を引き受けてしまう。
しかも、息抜きのつもりで富山に帰省したら、すっかり気が抜けて仕事が手につかない。原稿催促の電報が立て続けに届き、焦って描こうとするも筆は進まず、ついに「ゲンオクルニオヨバズ ヨソヘタノンダ」(原稿送るに及ばず よそへ頼んだ)の電報を皮切りに各誌から三行半を突き付けられるのだった。
せっかく拓けたまんが道も、もはやこれまで……と落胆する2人。しかし、テラさんからの手紙に勇気づけられ、トキワ荘に戻る。そこで経緯を説明し、もう漫画家はあきらめたと言う2人を「ばかっ!!」と一喝したテラさんが「きみたちのまんがに賭けた情熱はそんなにアマッチョロイものだったのかーっ!!」と叱咤激励するシーンは白眉。
続編の『愛…しりそめし頃に…』(1989年~2013年)と併せて読めば、レジェンド漫画家たちの獅子奮迅の働きぶりが、昭和の時代背景とともに伝わってくる。
平成の名作『バクマン。』
2人組で描くパターンの漫画家マンガとしては、日本橋ヨヲコ『G戦場ヘヴンズドア』(2000年~03年)、よしながふみ『フラワー・オブ・ライフ』(2003年~07年)、阿部川キネコ『ほわグラ』(2006年~07年)などがある。そして、満を持して登場したのが、原作:大場つぐみ・漫画:小畑健『バクマン。』(2008年~12年)だ。
くしくも作者自身が2人組。それも『デスノート』の最強コンビが漫画家をめざす高校生コンビを描くのだから、面白くないわけがない。そのうえ掲載が天下の『少年ジャンプ』で、ジャンプ編集部や過去の名作マンガが実名で登場するという、マンガ好きにはたまらない趣向である。
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