多くの人にとって、哲学が「アホらしい」理由 「期待にあふれた塾生」ほど、すぐに姿を消す

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哲学という「基準のない海」にたゆたい続けることは、楽ではありません(写真:Smit / PIXTA)

ここらで、「哲学は~でないか?」というテーマを終えて、そもそも「哲学とは何であるか?」を語ってみましょう。哲学に相当長く首を突っ込んでいる輩なら、世間で言われるように「真理の追究」(あるいは「真・善・美」の追究)と答えてみても、何か嘘くさいと感ずることでしょう。

なぜなら、「真理の追究」と答えて済ましていられるのは、「真理」という言葉に疑問を抱いていないからであって、この言葉自体に疑問を抱くと、たちまちこう答えてもまだ何も答えていないことに気づくからです。

哲学は「真理の追究」なのか?

たしかに、「真理」を国語辞典で調べれば、あるいは調べてみなくても、日常的にほぼその意味を知っている。しかし、哲学は、まさにその日常的使い方に基づきながらも、それを彫琢し、変形し、さらに思いもかけないほど別のものにすることすらあります。

いいでしょうか? 「哲学とは何であるか?」と問うて「真理の追究」と答えたとたんに、すでに「哲学」の中に落ち込むのです。つまり、「真理の追究」という答えそのものが、「哲学とは何であるか?」という初めの問いの中に吸収されてしまい、答えることをもって問いから解放されるという事態ではなくなってしまう。

さて、ここで意図的に話を逸らせますと、「哲学塾」には全国各地からたくさんの人が「哲学をしたい」と希望して、イヤ、少なくともそう言ってやってきますが、1カ月で、そのうち約4分の1が、そして3カ月もすると、約半分の人がいなくなります。いろいろ理由を詮索はするのですが、どうも遁走する人の大部分は、哲学に根っから間違った望みを抱いていた、間違ったイメージを抱いていたのではないかと思われます。

すべては想像ですが、私の本(とくに『私の嫌いな10の言葉』とか『働くことがイヤな人のための本』などの通俗的なもの)のいくつかを読んで、その著者の講義に期待して来る人の多くはアッという間に消えてしまう。この理由は簡単で、私は哲学の専門書と通俗書を(器用に?)書き分けていて、後者は厳密には「哲学」ではなく、(誰でも書ける?)ただの人生論ないし生き方論だからです。

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