前回は、哲学は宗教ではない、思想ではない、ということを書きましたが、今回は、『哲学の教科書』(講談社学術文庫)に倣って「哲学は科学ではない」と「哲学は文学ではない」ことをお話ししようと思います。
さて、「哲学は科学ではない」ことは当たり前ですが、こう堂々と宣言すると、多くの人を苛立たせるようです。おもしろいことに、「哲学」とか「哲学者」という言葉は、もうずっと前から脳死状態であると思い込んでいたのに、依然としてその言葉に対するプラスの価値は消えていない。
だから、私が哲学をしていると言うと、「お前はくだらない私小説的哲学まがいの本を書いているだけで、哲学なんかしていない!」という罵声が飛んでくる。仕方ないので、肩書を「哲学者」と書くと、「お前は哲学者なんかじゃない! ただの偏屈ジジイだ!」というお叱りを受けるのです。そのたびに、わが国民はまだ「哲学」や「哲学者」に期待しているんだなあ、と感慨深いものがあります。
哲学は「科学的客観性」を放棄している
なんでこんなことを「枕」に使うかというと、わが国民は「科学」にも絶大な信頼を寄せているので、「哲学は科学ではない」と主張することを好まない。人類知性の両雄が手を携えて進まないことは嘆かわしい、とでも言いたげです。
さて、ほとんどの科学者は、まさに「哲学は科学ではない」と確信しているのですが、そして、自分たちのほうが「偉い」と思っているのですが、その理由は簡単で「哲学は科学と呼ぶにはいかがわしすぎるから」で、「いまだ科学の高みに至っていないから」です。
これは、まあ公平に見て正しい判定だと思います。しかし、哲学者が同じことを語るときの理由は、これと同じではなく「哲学は科学から見たらいかがわしくならざるをえないから」であり、「科学の高みに至りえないから」なのです。
ここで、どの科学論の教科書にも書いてある「科学とは何か?」という退屈なお話を繰り返すことはやめて、ただ1つ、哲学は科学が後生大事にしている客観的知識(すなわち、科学的客観性)を放棄している、あきらめている、期待しない、ことだけを挙げておきましょう。
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