女子ボクシング「性別をめぐる論争」の最大の問題 観戦する側にも求められる「リテラシー」とは
自らの正義を何の気なしに振りかざしている
今回の件は、選手がルールのもとで試合に出て戦っているだけであり、他の選手と同じように扱われるべきなので、本来であればこうした記事が出ること自体いいことではありません。彼女のジェンダーを語ることで深く傷つく可能性もあるし、そもそも誰かのジェンダーを他人がとやかくいう必要はない。しかし、あまりに誤解と誹謗中傷が多いので、事実関係をきちんとする必要があるでしょう。
今回、ケリフ選手らに対してSNSで厳しい意見が目立つのは、批判する人の声のほうが大きいからでしょう。自らの強い正義感に基づいて語るときほど、人は自分が差別しているとか、誰かを傷つけていることに思い当たりにくいのではないでしょうか。競技の公平性に対する、ある種の正義感があるのだと思います。一方、当事者は自分が声を上げると叩かれるのではないかと黙ってしまう。
冷静に議論すべきことだと思っている人は、こうした論争の中には入らないかもしれません。これは人権侵害にとっては「傍観」につながりかねないため、悩ましくはあるのですが、「誰か傷ついている人がいるのにこんなことを言うなんて」と思ったら、気持ちが苦しくなってその場から離れる人もいます。知識があればジェンダーの知識のない人と対話を試みることができるかもしれません。
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