女子ボクシング「性別をめぐる論争」の最大の問題 観戦する側にも求められる「リテラシー」とは

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しかし、性の多様性に関する科学や理論は急速に進展しており、学校教育でも十分にカバーされていないため「何かおかしい」と思っても言葉にするのは難しいという人も多いのではないでしょうか。

今は小学校や中学校でも「LGBTQ+」の人権を大切にしようといったことは学ぶかもしれませんが、トランスジェンダーや性分化疾患(DSDs、男性、女性の典型と考えられている体の構造とは生まれつき一部異なる発達を遂げるさまざまな状態)などについて歴史的、医科学的に学ぶ機会はまれです。少なくとも私たちの世代はこうしたことはまったく教わってきませんでした。

例えば、トランスジェンダーとはどのような困難さを抱えた人生なのか、DSDsの場合はどうなのか、その苦しさは、その人が置かれた環境の違いも含めて考えると当事者でなければおそらくわからないでしょう。そうではあっても、人生の苦しみを抱えている人の存在を否定したり、存在をことさら取り上げたりすること自体が人権侵害だと、誰もが理解する必要があります。

根拠ない「推測」に基づく報道の大問題

今回の件では、当初、奇異な出来事という論調で取り上げたり、選手たちがトランスジェンダーなのかDSDsなのかを根拠なく推測して報じているメディアもありました。確認もしないまま高度なプライバシーに属する情報を添えて「あの選手はもしかしたら……」と読者が推測できるように書いたり。しかし、途中からこれは誹謗中傷の類だろう、とか、人権侵害だろうという論調が主流になってきました。

冒頭にも書きましたが、自分の性に関わることを他人に大っぴらに噂されたうえに、競技の場にいるべきではない人間であるかのような疑念を持たれることは、人として、選手として耐えがたい苦痛です。

もしそれが自分や自分の家族だったら……と思えば、人の生き方に関しては、言っていないことを第三者が公然と語ってはいけない場合があると、容易に気づくのではないでしょうか。

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