バリキャリでも「地味な生活」に悶々とする日々 合コンにいた「キラキラ無職女子」が羨ましい

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人生とはリアルな生活であり、生き方です。

大小はともかく、苦労もあれば成功もありますし、人生に喜怒哀楽は付き物です。

そのような中、他人の人生の一部だけを見て、「うらやましい」と思ったり、または自分自身の「至らない個所のみ」と比較して優劣をつける必要はまったくありません。

例えばKさんは他人のSNSを見てうらやましさを募らせているようですが、本連載において何度も指摘していますがSNSというのは多くのヒトにとって、そのヒトの人生の最高の部分の一部「のみ」を切り取ってアップしているにすぎません。

つまりは、そのヒトの人生のすべてではなく一部なのです。

それも成功している、または良い面の一部にすぎません。

そんな人生の一部のみの切り取りを見て、そのヒトの人生を判断することは当然できませんし、ましてやその「創られた一部」と喜怒哀楽を含むリアルな自分の人生の全体を比較すること自体が無意味な行為だとわかるハズです。

相手に羨まれている可能性だってある

また、合コンで会ったという女性にしても、その方が本当に幸せであるか否かは当然その場の会話のみからは判断できません。

他人には見えない苦労や苦悩はヒトである限り当然あるでしょうし、反対に大手企業に勤務するKさんの人生の「一部」をもって「うらやましい」と相手が思っている可能性もあります。

「そう見える」のと「実際にそうだ」は大きく異なります。

他人と比較する際の一番の問題はまさにそこにあるのです。

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