バリキャリでも「地味な生活」に悶々とする日々 合コンにいた「キラキラ無職女子」が羨ましい

✎ 1〜 ✎ 323 ✎ 324 ✎ 325 ✎ 最新
著者フォロー
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小

自分自身のことは苦労や苦悩、至らない点を含めてすべて見えている一方で、他人の人生はその一部しか見えません。

つまり、自分自身のことは良い面も欠点も含めてすべて見えている一方で、他人は良い面も悪い面もその一部しか見えない、ということです。

そのような情報量が圧倒的に違う両者を同じものとして比較したり判断したりすることは当然できませんよね?

ですから、他人を見て、または他人との比較において自分の人生や生き方を判断することはするべきでないし、本来できないハズです。

一部しか見えない他人の人生を軸にして、自分自身の立ち位置などを判断すること自体が意味のない行為なのです。

自分が幸せであるとか、成功していると感じる為には、自分の人生における幸せや成功の定義を自分自身でもっている必要があります。

その「価値観の軸」が自分の中でしっかりとしていないと、いつまでたってもヒトは幸せにはなれません。

まずはその自分なりの幸せの定義についてじっくりと考えてみましょう。

そのうえで、その定義に沿っているか自分自身の人生を判断するべきです。

人生の決断は「長い目」で判断すべき

そしてもう一つ。

人生における決断や行動の成否は、現時点のみで判断することはできず、結局長い人生においてどうであったか、という視点で判断をすることも大切です。

人生における決断や行動が大きければ大きいほど、その結果を見るには長い時間軸が必要になります。

次ページ人生とは短距離走ではなく、長期的な旅
関連記事
トピックボードAD
キャリア・教育の人気記事